高橋弘希の『指の骨』は、大岡昇平の「野火」を引き合いに出す人が多くて、お前らそれ以外に戦争小説を知らんのかいと言いたくなったが、大岡の『野火』を、『俘虜記』の冒頭「捕まるまで」(原題・俘虜記)と混同する人が多い。「野火」は飢餓の極、死体の肉を食おうかと思う話で、「捕まるまで」は、若い米兵を遠くに見つけて、撃とうかと思うのだが、三十代の大岡が「父親」の気分を感じて撃てない、という話である。
 私は『俘虜記』の、捕虜になってからの話が好きなのだが、短編であるこの二つは二つとも、キリスト教くさくて好きではない。女が出てこないし。