凍雲篩雪

 「在特会」が話題になっている。在日朝鮮・韓国人の特権を認めない会といい、代表は桜井誠(本名・高田)である。橋下徹大阪市長と桜井の罵り合いの映像が流れた。また、「朝日新聞」が、朝鮮人従軍慰安婦の強制連行について、吉田清治の証言が信用できないとして過去の記事を訂正した件について、呉智英は週刊誌で、在特会という市民団体が政治を動かしたとコメントしている。在特会の活動はおおかたネット上にあるらしいので、あれこれ見て、安田浩一の『ネットと愛国 「在特会」の闇を追いかけて』(講談社)を読んでみた。
 在日特権などない、という人もいるが、それはあるだろう。なかんずく、韓国籍の在日が、韓国の徴兵を逃れているのなどは、特権と言うほかないし、私は、日本で生まれ、日本語が母語で、朝鮮語ができないという、李良枝の「由熙」に描かれたような人は、参政権を得たいのであれば帰化するのが筋だと思う。安田著では、「国籍選択権」を在日コリアンに与えるべきだという李恵信の発言が肯定的に紹介されているが、現実に帰化できるのだから、国籍選択権ということの意味が分からない。
 在日の世界には「帰化タブー」があり、それは強制連行の神話から来ている。あるいは、本人は帰化したくても、親戚などの手前できないということもあろう。安田著は、そのへんをきちんと議論していない。
 在特会については、橋下の例でも分かるように、「保守派」も口を極めて罵り、「ヘイトスピーチ」を刑法で取り締まるといった議論が横行している。フランスなどで、民族差別を意図した言論は刑法で処罰され、ブリジット・バルドーが著作でイスラム教徒を批判したというので罰金刑を受けたことがあるが、私は言論の自由を侵害するものとしてこれには賛同しない。それに、「民族」差別が刑法で取り締まられるとしたら、「属性」での差別も刑事罰を受けなければならず、大変な「言葉狩り」に発展しかねない。
 さて、在特会は、その激しい差別語を用いたデモによって批判されているのだが、そもそも幕末期の尊皇攘夷派は、「攘夷」という、人受けしそうな情念をかきたてることによって倒幕・近代化を行った。森鴎外の「津下四郎左衛門」は、欧化派の横井小楠を暗殺した男の息子が、知恵のある人は攘夷を叫んだが実際にする気はなく、知恵のない津下らがそれを真に受けて小楠を殺したことを恨みをこめて語っている。つまり、日本の近代は、もともと在特会的な排外主義の情念を、社会変革のエネルギーとして用いたものなのである。そのことは、考えておくべきだろう。
 だが、「攘夷」の対象となったのは日本に不平等条約を押し付けるような西洋列強であり、在特会が攻撃している弱い者ではない、と言う人がいるだろう。だが、在日コリアンの背後には韓国・北朝鮮があり、さらにその背後には紛れもなく核兵器をもち国連の安保理常任理事国の大国、中華人民共和国があるではないか。
 私は、桜井を罵倒する橋下を見ていて、前からうすうす感じていたことだが、橋下は『加治隆介の議』をロールモデルにしているのを確信した。これは弘兼憲史の漫画で、保守党系の若い代議士・加治が、北朝鮮との有事をへて総理大臣になるというものである。そこで、北朝鮮有事の際、国内で、チマ・チョゴリ姿の朝鮮女子学生が切りつけられる事件が起こる。加治はニュースを聴いて、直ちにテレビに向かい、何の罪もない、懸命に日本に同化しようとしている人たちを傷つけるとは、あなたたちはそんな情けない国民だったのですか、と熱弁を振い、涙を流す。このあたりを、橋下は理想としているのだろう。
 小林よしのり在特会を批判しているが、それは、彼らに天皇崇拝の念が稀薄であり、これでは「天皇抜きのナショナリズム」になってしまう、という意味で、である。保守派も大方はそういうことだろう。だいたい在特会は、在日コリアンを「日本国籍のない特権階級」と言っているが、それなら天皇・皇族こそが、まさにそれではないか。その点で、在特会の論理は、反天皇制に転じる可能性すら秘めている。そんなことにはなるまい、と人は言うだろうが、安田著には、従来の右翼が、在特会には「思想」がない、と言って離れて行ったという経緯を記して、「右翼には右翼なりのロマンがある。(略)天皇のもとで国民が一つにまとまり、皆で社会を築くのだという国民国家への夢。(略)在特会には、そうした日本人の琴線に触れるようなロマンを感じることがない」などと書いているが、そんなものは私の琴線には触れやしないのである。安田は、「日本人の」と書くことで、天皇にロマンなど感じない私のような日本人を疎外していることに気づいていないのか。これでは平川祐弘と同じではないか。
 在特会が、なぜ汚い言葉づかいのデモをしたり、乱暴な行動をしたりするかについて、そうしないと社会の注目を集められないからだと答えているが、これは事実である。つまり、何かを主張しても、報道されなければ広く知られない。ネットで発言すれば、若い世代には知られても、いよいよ人口比率の増えている高齢世代には伝わらない。「報道格差」というのは確かにあるのであって、同じようなことをしていても報道されるものとされないものの差が大きいことはは常々感じている。テレビ局の内定を取り消された女性が提訴したのがニュースになったが、ほかにも内定取り消しと提訴などという例はあるだろうになぜこれだけが大きく取り上げられるのかといえば、女性が美人で、テレビ局が華やかだからであろう。
 禁煙ファシズムを批判していても、それが新聞で報道されることはないし、橋下徹に、天皇制は身分制ではないかと問いかけて答えなくても、それが報道されることはない。天皇制は身分制ではないのか、それはいいのかという疑念すら取り上げない。このような状況では、騒ぎを起こして報道してもらって輿論を喚起するということも戦術として用いざるを得ないだろう。
 実は「帰化」については、最近妙な経験をした。本仮屋ユイカが弁護士を演じるドラマ『そこをなんとか2』(麻生みことの同名漫画が原作)がNHKーBSプレミアムで放送されているのを観ていて、私は本仮屋が好きだし、やはり好きな猿之助も出ているので、知らずにいた「1」のDVDを借りて観た。すると、子供のころから日本で育ったフィリピン人女性が、看護婦のかたわらキャバクラで働いていて客の子供を身ごもってしまうという事件のエピソードがあった。客は既婚者なので、子供に日本国籍を与えたい、というところでもつれ、最後は相手が離婚してハッピーエンドになるのだが、なぜこの女性は帰化しないのか、と疑問に思った私は、漫画原作で確認し、NHKと白泉社に問い合わせた。両者とも、両親が国外退去になっており、女性は学生ビザで特別に残ったなどと答えていたが、既に看護婦になっているので、それはおかしいと追及すると、遂に帰化できない理由はないことを認めた。別に麻生やNHKが意図的にしたわけではないだろうが、帰化は困難だという神話が独り歩きしているなと私は感じたのである。手続きが煩雑だと主張する人もいるが、自動車免許を取るのだって大変なのに、帰化手続きが煩雑なのは当然だろう。
 どうも今のところ、在特会百田尚樹については口を極めて罵っておけば安全という空気がある。そういう空気の支配は、決して望ましいものではない。議論をすべきである。