丁未子のアレ

 『谷崎潤一郎の恋文』やっと読み終わる。私の場合、詳細年表を修正しながらなので時間がかかりへとへとになって今。
 なお昭和19年6月12日のところに置かれた、渡辺明のパラチフスに触れた重子宛の書簡は、もともと全集で3月12日のところにあったものを移動したものだが、私が考えるにこれは2月13日であろうと思い細江光氏も同意をしてくれ千葉先生も認めてくれたのでここに記しておく。
 なおこの書中、最も面白かったのは、書簡そのものより、私がまだ見ていなかった、谷崎担当の編集者・雨宮庸蔵の日記を息子が私家版で出したのを千葉先生が引いたところで、私は松子が嫌いで、二番目の妻丁未子ファンなのだが、どうやら丁未子は「名器」だったらしく、谷崎は当初、日に四回やっていたという。しかし名器も飽きる時がくる、ということだ。