川端康成が死んだ時、通夜の導師を、寛永寺執事長の赤沼義俊という人が務めたと当時の新聞にあった。ところがこの名前、検索しても出てこないので、川端伝には書かなかったのだが、今回改めて調査すべく、寛永寺に電話して訊いた。ところが、調べて折り返し電話すると言い、掛かってきたが、「それはどこかへ公表なさるのですか」というので、ええ研究ですから、と言うと、いったん切れて、また掛かってきて、「それは川端さんのご家族の許可を得ているのですか」などと言う。いやだって新聞に出ているんだから、と言うと、「いや、新聞に書かれるのとはまた別ですから」とか言うのだが、別じゃない。「しかし公の人物ですよ」と言うと、「いえご家族にとっては公の人ではないので」と言うが、だいたい、葬儀の時の僧侶が誰かなんてことが、なんで川端のプライヴァシーとかになるのだ。私もけっこうむっとして言い返し、電話を切った。するとほどなくまたかかってきて、協力できない、と言われた。阿呆か寛永寺。浦井正明(しょうみょう)か。
小谷野敦