藤井淑禎の『清張 闘う作家』には、『砂の器』に出てくる「ヌーボー・グループ」のモデル探しをしている。これはその当時、若手文化人が集まった前衛的な文化藝術集団だったというので、石原慎太郎武満徹江藤淳浅利慶太らの「若い日本の会」にこれを比している。そして、犯人の音楽家・和賀英良については、弟子である安智史の、黛敏郎とする節に対して、武満だという説を出している。さて、もう一人、犯人だと目星をつけられた評論家・関川重雄がいるのだが、藤井はこれを江藤淳ではないかとする。そしてその背後には、清張の純文学への対抗意識が表れているとする。これには続きの論文がある。「映画「砂の器」は小説をどう補修したか」『立教大学日本文学』2014-01 https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=8796&item_no=1&page_id=13&block_id=49 で、ここでも関川重雄は江藤だということになっている。
 しかし、これは決めつけるだけの根拠に欠けている。関川は単に「評論家」だし、東北出身となっていて、江藤は東京出身であって、共通点はほとんどない。「若い日本の会」というのは、何だかその時の勢いで作ったようなもので、彼らが行って本にした『シンポジウム・発言』はまるでまとまりがないし、一年もたたないうちにバラバラになってしまう。
 藤井はそのあと、清張が二度、江藤を批判していると言うが、これは別に「純文学」が偉いかという批判ではない。むしろ、純文学が偉いかという論点での清張の論敵は、大岡昇平である。それに藤井は、江藤を「純文学派」と呼ぶが、確かに清張を認めた平野謙のように、江藤は推理小説好きではなかったが、特段「純文学派のエリート」というほどのこともないし、第一江藤は慶應卒であって、あまりその点でエリートという感じはしない。
(後記)
 その後藤井氏から来た年賀状に「ブログ見ました。まあ、あまり勝ち目はないですね、つまり、貴兄の負け」とだけ書いてあった。異論があるなら堂々と議論すればいいのに年賀状にこんな珍奇なことを書いてくるのは精神状態がおかしいんじゃないか。