ドイツ文学者・吹田順助の「馬琴と路女」という小説があって、1957年3月に同人誌『灰』に載ったようだがこちらは未見で、1961年7月『心』に載ったのを見たら、「つづく」とあり、しかし「(一)」とは書いてない。『昭和文学年表』では「評論・随筆」欄にあり、天下の浦西和彦先生も小説とは気づかなかったらしい。『灰』につづきがあるのかどうか、誰か教えてほしい。いや国会図書館へ行けば分かるんだが。
 しかし、うまいとは言えない。これは、馬琴が娼婦を悪く書いたので京伝が抗議に来るところから始まるのだが、会話文がまるで昭和初年の学生で、「滝沢君」などとやっている。
 「それゃ、滝沢君、こういうわけなんだ。君も腹の底じゃあ、ちゃんと分っているだろうとは思うんだがね」とか、「君も若い時にゃ、わっしとしても及ばずながらとかくの面倒をみてあげた仲なのにさ」といった具合。
 「さ」は東国方言だが、近世では「まあそんな物さ」といった表現が一般的で、「なのにさ」があったかどうか、疑問である。 
 ところで小説はこのあと、お路の不義密通の疑いへと進んでいくのだが、見た限りではどうも事実であったという展開になるらしい…。