歴史研究のアポリア

 たとえば、オウム真理教について、事実に即した著作を出した人がいて、まとめ方さえうまければそこそこ評価はされるだろうが、新しい事実がなかったら、学問的な評価はされないだろう。
 これがさらにさかのぼって、明治から昭和中期あたりまでの歴史事象で、当時の人はよく知っていたが忘れられていた事実を掘り起こしたらどうなるだろう。別に政治でも文学でもかまわない。ある程度評価はされるかもしれないが、「当時の人はよく知っていた」としたら、厳密に言えば新発見ではないことになる。

                                                                          • -

「日本人は俳句を愛する」と言われて、それは違う、と言う人はあまりいないだろう。いや、俺は俳句第二芸術論だ、と言う人もいるかもしれないが、だいたいは、「日本には俳句というものがあって、多くの人がそれを読んだり、自分で作ったりしている」という風な意味でとらえるだろう。ところが、「日本人は西郷隆盛を愛している」と来ると、どうか。これになると、いや、あれは反乱を起こした奴だし、朝鮮へ乗り込んで戦争を起こそうとしたやつだ、と言う人も現れるだろう。しかしここでも、上野に銅像があって親しまれている、程度の意味にとらえる人が多いかもしれない。
 さらに「日本人は天皇を愛している」となると、どうか。この命題は、対偶をとると「天皇を愛さない者は日本人ではない」となる。そうなると、強く反対する人もいるだろう。
 平川祐弘の論法というのは、この「俳句」「西郷隆盛」「天皇」を巧みな文章の流れの中でいっしょくたにしてしまうところに特徴がある。注意深く読めば、どこでごまかされたか分かるのだが、多くの人は、どこでごまかされたか分からない。