群像新人賞は三年続けて評論の受賞作が出なかったわけで、次回から評論は独立させるという。石原千秋産経新聞文芸時評で「言葉もない」とし、「研究論文のようなものが多かった」という選評に対して、「なぜ評論の賞に応募しようとしたのだろう」などと書いているが、そりゃ文藝評論家になりたかったからではないの?
 それでいったい石原には、研究論文と評論の違いについていかなる意見があるのであろうか。かつて谷沢永一が、三好行雄越智治雄を批判し、学会誌や紀要に載っていれば学術論文で、文藝雑誌に載っていれば文藝評論だなどというバカな話があるかと書いたのだが、石原や小森陽一は時世にあわせてそれをさらに進めてきた人たちではないのか。いや別に石原が悪いというのではなく、それはちゃんと議論すべきことだろうと言うのである。なんで議論しないのか。