統制

 私の本のアマゾンレビューに「言語統制をするつもりか」という一点のレビューがついている。もっともこれは、梅原猛ヨイショ新書を書いたなにがしの本に私が一点レビューをつけたのへの意趣返しである。私がなにがし(名前を忘れた)であったら、そんなことはやめてくれ、とこの匿名さんに言うところである。
 もっともだいぶ頭の不自由な人らしく言っていることは支離滅裂だが、だいたい「言語統制」などというのは、権力者にしかできない。国家か、マスコミである。その点から言ってもあほらしいのだが、ヨコタ村上孝之なども、「思想統制でもするつもりか」などと言ったことがあって、これも頭が不自由らしい。私は村上が、「比較文学などやめてしまえ」と書いておきながら比較文学会にいるのはおかしいだろうと言ったのだが、別に撤回するのでもなく学会に居続けるから、抗議して学会を辞め、会長あてに理由を書いた手紙を出しただけである。
 ところが村上は、「比較文学などやめてしまえ」と言うのがけしからん、と私が言っているのだと思い込んだらしい。いや別にそんなことはいくら言ったっていいのである。言行不一致だと言っているのである。
 新潟大学三浦淳は、なかなか面白い人だと思っていたが、今ごろ江藤淳の検閲研究なぞ読んで感心しているから、江藤の言行不一致の例をあげたら、言行不一致はしょうがない、と言ったので、この人はバカだなと思い、以後相手をしないことにした。