水原園博と川端ヨイショ

 駅前の書店で、『巨匠の眼 川端康成東山魁夷』(求龍堂)という新刊を見つけた。もう数年前からあちこちでやっている展覧会の派生物だが、いくつも図録や書簡集を出したり雑誌特集をやったりしているのでいたるところで重複しまくっている。だいたい主導しているのは平山三男。東山魁夷というのは、平山郁夫みたいな、世間では偉いと思われているが美術批評の世界では通俗とされている画家である。しかしぱらぱら立ち見したら、私の知らなかった情報もあったので購入した。
 帰宅して見ていたら、著者代表は水原園博といい、川端康成記念会東京事務局長という肩書の人で、この人が最後にやたら長い文章を書いていた。川端康成記念会は、川端没後、遺産の整理とかのために作られた団体だろうが、新潮社と共催で川端康成文学賞などもやっている。西村賢太はかねてこの、短篇に与えられる川端賞を欲しがっていて、私は『文學界』三月号に載った賢太の「邪煙の充ちゆく」を見て、おおっ、川端賞狙いだな、と思ったのだが、受賞したのは芥川賞候補になって落ちた戌井昭人の「すっぽん心中」であった。昔の川端賞は、大物がとるものだったが、最近はだんだん若い人がとるようになり、田中慎哉など、芥川賞をとる前に「蛹」で受賞している。私は「共喰い」なんかより、この当時の田中のほうが好きなんだが。しかし、芥川賞候補作がとるというのは初。
 しかし川端記念会も、長谷川泉が死んで川端香男里が理事長になってからは、川端ヨイショ、悪口言うやつは許さんみたいな団体になりつつあって遺憾なことである。学会として川端文学研究会があり、これが発足した時、代表の長谷川泉は、川端家と距離を置くこと、と念を押したのだが、
http://www.kawabata-kinenkai.org/soshiki.html
http://www.kawabata-kinenkai.org/bungakukai/Yakuin.html
 両方の評議員、理事を兼ねているのが平山三男で、こんなことはしちゃいけないのだ。記念会は川端ヨイショ、臭いものには蓋、の団体で、学会は冷徹な学問の団体なのだから。
 さて水原の文章を見ていたら、出ました川端ヨイショの人たち定番の臼井吉見の悪口。この本には作家の稲葉真弓がエッセイを書いており、これは川端賞受賞者としてで、稲葉の受賞は2008年だから、その頃のものだろう。私はしかし2007年に出した『現代文学論争』で、臼井の言うのが正しいと判定している。だが彼らはそんなことは知ったことじゃないのだ。議論なんかしたら負けるから逃げ回って好き勝手に言うのだ。
 で、ちょっと微苦笑を浮かべたのが、臼井の悪口を書いた上で、『安曇野』のあの清冽さはどこへ行ったのか、臼井は晩節を汚した、とか書いてあったことで、ははーん、この水原というのは『安曇野』を読んでないし、臼井がその後、未完に終わったとはいえ『獅子座』を書いたことも知らないのだなと思ったからである。水原は『安曇野』を、臼井の自伝小説だとでも空想したのだろうが、あれは相馬黒光がいかに男たらしで、荻原守衛ら周囲の男を翻弄したかを描いた小説で、別に「清冽」ではないのである。
 しかし水原という人は単著もないし、略歴もない。あちこち調べたら、平山三男の友人で、学習院大学で一緒、その後テレビの仕事などして、写真家でもあるらしい。
http://www.city.taketa.oita.jp/photo_news/?id=783
 悪人顔だなあ。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942
 悪徳弁護士を使って戸籍の不正取得をした森本とも親しいらしい。しかし森本、「それまでは極く限られた国文学者しか手にすることのできなかった源氏物語の本文を、54巻まるごと」って、徳川時代に「国文学者」なんていたのかねえ。
 そういや、たまたま『群像』に昔載った大江健三郎沼野充義の対談を読んでいたら、ナボコフの話で、ナボコフ未亡人は、夫の自分以外の女との恋愛は、若いころのものでも断じて認めなかったと言い、「まあ、長い人生の中でその種のことが多少はあったといっても、別に作家に対する冒涜にはならないと思うのですが」と言っていた。沼野先生、師匠の川端香男里にも、それ言ってやってください。
小谷野敦