凍雲篩雪(2012年5月)
 国会図書館のOPACは、当初思った以上にひどいことになっている。先日、有吉佐和子の『紀ノ川』など、題名に「川」がつく小説を探そうとして、タイトルに「川」と入れ、分類記号を「913.6」にして、年代を限定して検索したら、八点しか出てこなかった。どうやら、「川」というタイトルのもの、あるいは短編を収めた著作しかヒットしないようなのである。驚いて国会図書館に電話をしたら、「検索式」から検索しろ、と言うのでやってみたが、ほぼ同じことで「山と川の風景」など、「川」が単独でタイトル中に登場しないとヒットしないのである。私は館長に手紙を出して、断然昨年までの検索システムに戻すよう要請した。つまり今では、「紀ノ川」などは一つの単語として位置づけられているのであろう。これでは、人文学の研究に多大な損失をもたらす。webcat plusが意味不明の改悪を行っている以上、こちらも使えない。いったい誰が、どういう目的でこうした改悪を行うのだろうか。私に言わせれば、現在はwebcatも国会も、素人が遊びに使うためのものでしかなくなっている。
 郵送複写にも問題がある。郵送されてきたものについている書類および水色の付箋に、複写した雑誌名がないことがあるのだ。以前は必ずあった。何を頼んだかくらい覚えていろとでも言うのか、しかしネット画面上でも、以前は頼んだ履歴を見ることが出来たのに、今では発送されると消えることになっていて、不便なことおびただしい。私のように多量に頼むと、雑誌が何だったか改めて調べなければならなくなる。とにかく昨年までのシステムよりずっと悪化しているのだから、とにかく前に戻してほしい。
 ナオミ・オレスケス『世界を騙しつづける科学者たち』(福岡洋一訳、楽工社)の書評が三月四日の「朝日新聞」に出ていた。筆者は福岡伸一だが、訳者とは別に関係ないのだろう。私はしかし疑問を抱いた。この本は既に英語圏で議論の的となっているもので、オレスケスは、地球温暖化論への疑問に反論していることで知られる。福岡が書評でとりあげたのは、『沈黙の春』で知られるレイチェル・カーソンが今非難を受けているというトピックで、それへのオレスケスの反駁を紹介している。カーソンがDDTを危険だとしたために、多くの被害が生まれたというのである。オレスケスは、地球温暖化論を中心に、二次喫煙とか、世界で主流となっている議論に疑念をさしはさむ科学者たちを、政府や企業から金を貰ったり支援を受けたりしている「御用学者」だと非難するのである。おかしいのは、別にそういった疑念によって、主流となった定説が覆ったわけではないということで、福岡伸一がそのような本を朝日で書評して、特に留保もつけないのはむしろおかしいということである。
 今の日本ではむしろ、地球温暖化論自体が、原子力発電を擁護するための陰謀的説ではないかと言う人もいて、私は判断がつかないが、議論は議論でよろしい。しかし、どこそこから金が出ているから怪しいという論法は、そもそも科学研究費というものが政府から出ていたり、企業から金を貰って研究したりしている学者がたくさんいる以上、どこにでもくっつけられるいちゃもんでしかないのである。一番恐ろしいのは、オレスケスの本が、懐疑の精神を打ち砕こうとする意志を感じさせることであって、いかなる学説であろうと、それに疑念をさしはさむこと自体、誰にも非難される筋合いはないのである。以前私の『日本売春史』(新潮選書)が「朝日新聞」で書評された際は、唐沢俊一がご丁寧にも、小谷野の言うことを鵜呑みにせず、などと書いたが、そんなことは私が批判した者たちの反論があってこそ言えることで、しかし何もないのである。それならオレスケスの書評にもそう記すべきで(むろん唐沢と福岡は別人だが)、ある著作を鵜呑みにしないなどというのは当たり前のことである。むしろ福岡の書評は、この著書全体についての判断を抛棄した態に見えた。
 『中央公論』四月号では、中川恵一、川端裕人ともう一人の座談会があった。中川は、「御用学者」と主としてネット上で攻撃を受けたと笑いながら言っており、川端はしかるべく中川を追及している。中川は、福島の原発近辺の住民が、避難生活でかえって健康に良くない状態になっていると言う。ただ始めに『週刊新潮』に書いた時は、広島の原爆の後は特に避難しなかったが健康都市になったと言っている。あとで訂正したと言うが、東大准教授としては、うっかり発言が多すぎる。それに中川は、これまでさんざん煙草の害を訴えてきた禁煙ファシストの急先鋒で、それと今回の、放射線の危険を煽るなという言説とが明らかに二重基準である。だが川端が中川の相手に選ばれたのは、川端も禁煙派だからであろうと勘繰られても仕方のないものがある。私は中川の誠実さは微塵も信じていないが、川端にはいくばくかの良心が残っているのを感じている。従って、自分が中川の相手に選ばれたのは禁煙派だからだということもよく分かっており、心の痛みを感じているだろうと思う。感じるがいい。「御用学者」は、何も政府や企業から金を貰うばかりがその条件ではない。「禁煙化」という風潮のお先棒を担ぐのも、また立派な「御用論客」なのである。川端は、自分が喫煙者たちを必要以上に迫害する行為に加担したことの罪悪感を背負って生きるがいい。
 「天皇を元首に」という橋下大阪市長の提言で、改めて「元首」について調べたところ、大妻女子大学教授の縣幸雄の興味深い論文がいくつも見つかった。残念ながら単行本に収められていないが、サイニイで全て読むことが出来る。だいたい、国家元首というのは、なくてもいいものである。金正日は私の知る限りでは国家元首ではなく、当時も今も北朝鮮国家元首最高人民会議常任委員会委員長の金永南である。旧ソ連など社会主義国では、独裁政党の党首が実力者で、しばしば国家元首とは別だった。フランス、ドイツは、憲法に元首の定めはなく、憲法で元首を定めているのは、アフリカ、ラテンアメリカ諸国が多い。「天皇を元首として憲法に明記したい」といったことを言う保守政治家はこれまでもいたが、では元首とは何か、ということがほとんど議論されないのが、言論の貧困というものだろう。