『サザエさん』の単行本は、一話つまり四コマが一ページである。だが、新聞に掲載されたものを見れば、どう考えたってあれだけの横幅はないので、つまり単行本にする際には、新聞連載したものをワイドスコープに描き直しているのである。
 畏友・中川右介氏の『源静香野比のび太と結婚するしかなかったのか』は、小学館の学習雑誌に連載された『ドラえもん』が、一年生から六年生まで、一月に六つ描き分けられていたことを示していて、私もこれは知らなかったが、週刊誌に長めの連載をするのと比較すると、仕事量はそうべらぼうではないだろう。素人考えでは、三年生と四年生が同じものを読んでもよかろうと思うのだが、そうでもない、あるいは小学館側で、それは倫理に悖ると見ていたようで、川崎のぼるの『てんとう虫の歌』が始まった時は、確か五年生と六年生とで同じものを載せていて「たいへんすぐれた作品ですので」特別にそういう措置をとったというただし書きがあった。
 私は、一九六二年十二月生まれなので、一年生の時に『小学一年生』でドラえもんが始まったのを目賭した世代である。だから、途中でドラ美が登場して、前回の予告ではドラえもんの「ガールフレンド」格だったのが、翌月になったら妹になっていたという現象も目にしている。
 しかし、アニメになった『ドラえもん』は、失敗したという最初のものも、大成功した二番目のものも、ちゃんと観たことは一度もない。しかし、最初のものの主題歌だけは、25歳のころ『続・テレビまんが主題歌のあゆみ』というCDを、夜寝る前に何度も聴いたので知っている。だから、大山のぶ代ドラえもんも、小原乃里子ののび太も、別の番組に出た時か何かに聴いたのである。初めて聴いた時は、「声が違う」と思った。今でもその印象は完全に払拭されてはいない。私は中学生のころ、弟がとっていた「朝日小学生新聞」に再掲されていた『21エモン』が好きだったが、『ドラえもん』は特に好きではなかった。
 さて、中川さんの本によると、静香ちゃんは戦士だそうである。これはおそらく、映画でやるドラえもんのことだろうが、これまた一度も観たことがない。さらに中川さんは、静香ちゃんのようなかわいい子が、のび太のような凡庸な子と結婚するのが許せないらしく、『のび太結婚前夜』のような絶望的な結末、と書いていて、私は知らなかったのであわててツタヤ・ディスカスでこの中編アニメを観たが、別に絶望的なことはなく、結婚前夜のほのぼのした話で、ただちょっと静香ちゃんがマリッジブルーになるだけであった。しかしのび太も静香も一人っ子であるらしく、のちのち介護が大変だろうなと思わせたが、絶望的なのはそのへんかもしれない。
 それから「出来杉」というのが出てくるのだが、これも私はこれまで知らなかった。世の中には、世界を『ドラえもん』の比喩で語る人がわりあいいて、私はそれには違和感を感じるのである。おそらくそれは、私自身は、のび太でも出来杉でもない、成績はいいが運動はダメ、女子にはもてないという小学生だったからだろう。