加藤周一の『続・羊の歌』(岩波新書、1968)の165pには、香港で見た光景として「無数のシナ人たちが…シナ語の本を立ち読みしていた」とある。加藤は他では「中国」を使っているのだが、どっちでもいいということであろう。
 丸山眞男の『日本政治思想史研究』は、冒頭から「シナ帝国」で、その後も盛んに「シナ」が出てくる。これらは、戦時中から書かれた論文の集成だが、丸山は『戦中と戦後の間』に収められた論文でも「シナ」を使っている。
 「シナ」を使うなという人々よ、君らがしばしば尊敬する加藤、丸山はなぜ「シナ」を使うか。ないし、のちに改めようとしなかったのか。そもそも中華民国成立時、中華人民共和国成立時に「シナ」は、チャイナはなぜいいんだといった議論なく使うなと日本に言ってきている。だが加藤も丸山も気にはかけなかった。問題が再燃したのは1980年ころ、「侵略」を「進出」に書き換えたという朝日新聞誤報があったころから、中共による他国の言論統制が始まったのである。
 「なんとなく、リベラル」な人たちよ、今からでも遅くはない。加藤や丸山の著作権継承者と岩波書店東大出版会みすず書房にねじ込んで、書き直させたらどうかね。

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山岡荘八の唯一の随筆集『睨み文殊 随想集』(講談社、1979)を読んでいたら、1950年の文章で、「大衆雑誌講座が早く何処かの大学で取り上げられないと、大衆雑誌が進歩の障碍になるという民主主義下最大の皮肉は刻々に深化しよう」(原文ママ)とあった。
 山岡といえば、山田宗睦の『危険な思想家』にもとりあげられた、自民党寄り保守文学者である。その山岡が「障碍」と書いている。さあ右寄りの人たちよ、左巻きのおしつけは嫌だという忸怩たる思いは捨てて、正しく「障碍」と書こうではないか。

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 私はこの「寒い朝」が好きだった。主演の吉田由美子がすごい美少女。その後消えてしまったが、本名が同じで日航機事故で死んだ北原遥子とは別人。