私が「私小説派」になった原因の一つに、若いころあまりに私小説はダメなものだと思い込み続けていた反動というのもある。ほかにも、まったくフィクションだと思って読んでいたものが、あとになって、けっこう事実なのだと分かったため、というのもある。『細雪』なんか、あれほど事実そのままだとはまるで思わず、すごいものを想像するものだと思っていたし、『雪国』だってそうだ。
 太宰治とか『個人的な体験』になると、さすがに事実が下敷きになっているのだろうと思っていたが、『震える舌』だって、実話じゃないかと思いつつ、最近まで確認できなかった。あとは『水死』で改めて浮上した『みずから我が涙をぬぐいたまう日』なんか、父親のことを書いているなんてまるで思わなかった気がする。
こういう読み方はしなかったね。
 村上春樹にしても、『風の詩を聴け』は斎藤美奈子が解析するまで、ただの断片だと思っていたし、『ノルウェイの森』も完全なフィクションだと思っていた。