http://miura.k-server.org/newpage219.htm
新潟大学三浦淳先生の読書日録は時どき覗くのだが、最近江藤淳に熱中しているらしい。
 しかし、どうも感心しない。江藤の占領軍の検閲研究は、のちに平野共余子が『天皇と接吻』を出して、江藤がいかに天皇については書かずにおいたか明らかにしたし、あと平野謙を批判しているところ、これは杉野要吉の『ある批評家の肖像』とか、森下節の『ひとりぽっちの戦い』という中河与一をいかに平野が陥れたかという本、あるいは私が書いた、川端没後に平野が何をしたか、といったこともあって、江藤の指摘などそれに比べたら大したことはないし、江藤は、『昭和の文人』で、平野が自分の父親の職業について隠していると非難しつつ、自分や妻の父親が戦後何をしていたのかほとんど書かなかった。私の江藤淳評価はこのところ下落の一途をたどっている。
 私も四半世紀前、江藤、山崎正和梅原猛あたりに憧れてずいぶん読んだものだが、そういう熱も冷めた私と、60過ぎて江藤に熱中している三浦先生だが、若いころはドイツ文学の勉強に懸命だったのだろう。川島幸希の本のところで、鴎外の『舞姫』について、「解釈をいくつか紹介しているのだが、なぜか、山崎正和の解釈には触れていない。山崎正和は 『舞姫』 について、近代文学の、特に戦後の解釈の中では、男女の仲というプライヴェートが優先され、国や社会のために尽くすという公的な面は否定的に見られる傾向があるが、これはおかしいのであって、『舞姫』 はプライヴェートな愛よりもむしろ近代化のスタートを切って間もない若い国家だった日本のために働くことを選んだ若者の話とも受け取れるのではないか、と述べているからだ。この辺、調べ方が足りないと思うなあ。」
 「からだ」の使い方が変だが、とりあげないといけないほどの説であろうか。それにこれ、本当に山崎の説なんだろうか。第一、「舞姫」は直後に論争を引き起こしたわけだが、鴎外自身がそんなことを言っていないのである。