実はちょっと恥ずかしいので今まで書かなかったのだが、私が『未来少年コナン』を最初の放送の時に観なかったのは、「グラフNHK」で紹介されていたキャラクター一覧を見て、「いじめっ子キャラ」だと思ったからだったのである。現実世界でいじめに遭っていた私は、いじめっ子が出るような話を観たくなかった。
 もちろん、ジムシィはそんなキャラではなかったのだが、考えてみると、高畑勲宮崎駿も、ジャイアンスネ夫のようないじめっ子は出さないのである。「ハイジ」のペーターでさえ、クララの車いすを崖から突き落とすのをやめてしまうのである。
 私は概して、いじめを描くものは、小説でも映画でも好きではない。たとえば『ジェイン・エア』だって、最初のほうは読むのがつらかった。だがこれもそうだが、それが子供の頃のことで、のち成長してそれが解決されるならいい。だが、現実世界では、いじめというのは大人の世界にもあるもので、解決はできない。「怪獣使いと少年」だって、結局は、「地球にさよならが言いたい」という結論である。
 だから、いじめを扱った小説やドラマには、解決できないものを素材にして人気を得ようという浅ましさを感じるし、あたかもいじめが子供の世界にしかないように論じる学者もどきには、不快感を感じる。