福田恆存が「独断的な、余りに独断的な」(1974-75『新潮』連載)で、1968年にトロント大学に招かれて講義をした時のことを書いている。五回ほど講義をして、どうも学生の反応が悪かった。主任教授は、「私は自然主義はもちろん、漱石も鴎外も認めてはいない。私が認めるのは川端と谷崎だ」と言い、ちょうどその秋、川端がノーベル賞を受賞したので、川端の話をしてくれと言われ、福田は、川端には興味がないと言ったが、どうしても聞かないので、図書館に『千羽鶴』か『山の音』がないかと探したら『山の音』があったので、それをとりあげ、これを一時間かけてくさしたという。
 その時、トロントの新聞、『グローブ・アンド・メイル』の記者が聴きにくると聞いていて、白人だろうと思ったがそれらしい人がおらず、来なかったんだなと思っていたら、日本人女性でカナダ人と結婚した人がそれで、改めて川端についての意見を聴きたいと言われたのを、断ったのだがねばられ、「ノーベル賞」についてなら話す、ということで話したら、「Fukuda says no」という、川端の受賞に反対だという記事が出たという。
 で、この主任教授は、鶴田欣也で間違いないだろう。トロントに来た日本の文学者で、佐伯彰一とは気があったが、安岡章太郎をしつこい質問で怒らせ、福田恆存も怒らせたと書いているからだ。ただしこの時鶴田はまだ36歳である。
小谷野敦