良家の出のリベラル

 映画「愛と青春の旅だち」に、シーガーという唯一の女子士官候補生が出てくるのだが、父親が海軍中将だかの名家のお嬢さんで、そのくせ身体能力が劣っている。最後は、主人公のザックが、自分の順位を放棄してこのシーガーを助けることで、ザックが「成長」したということになるわけだが、実はこれだけだとけっこう凡庸な筋になる。
 もう一人、こちらは唯一の黒人の候補生のペリマンというのがいる。彼については特にエピソードはないのだが、休暇になり、ザックが、川向うの工場にいる女たちと遊びに行こうかと考えていると、向こうのほうでシーガーが「ペリマン、行こう」とペリマンを誘っているのである。ここがこの映画のすごい伏線なのである。良家の令嬢ゆえのリベラルさというのが示されているのであり、ザックは何も言わないが、けっと思っているはずなのである。
 いい家の出ゆえに示せるリベラリズムというものに、悲惨な家庭の出身であるザックは不快を感じるはずで、その不快を乗り越えるというのがこの映画の基調なのだ。
 私がこの映画が好きなのは、私もまたザックだからである。こないだ佐伯順子さんがテレビで、祖母は女流能楽師で、祖父は医師だったが(母方)、祖父は祖母を家に押し込めようとはせず援助したと言っていたのを聞いて、ああ立派な祖父母の自慢ですかと思ってしまったのである。二十世紀後半特有の現象といえるが、いい家だからリベラルになるのである。
 ネトウヨとかいうのは、結局はこのザックである。鶴見俊輔みたいな、後藤新平の孫に生まれたリベラルとかいうのが、この連中には許せないのである。そういうことをちゃんと論じないとダメだよってことである。