七月十五日の『公明新聞』にゆりはじめ氏が『川端康成伝』の書評を書いてくださった。活字でのものはこれが初。中で、川端が昭和二十年四月に鹿屋の特攻隊へ報道班員として行った時に知った杉山幸照・特攻隊員の文章を教えられ、さっそく取り寄せた。杉山幸照「悪夢の墓標」(『別冊1億人の昭和史 日本の戦史別巻?特別攻撃隊毎日新聞社、一九七九)だが、川端について「彼ほど小心で卑屈な人間を見たことがない」と書いてある。軍の上層部と話す時は特攻隊を礼賛し、杉山のような隊員と話す時は、特攻隊の非人間性を語って、その落差が激しいので人々から嫌悪されたとある。戦後になっても、同行の山岡荘八や新田潤は特攻隊についてちゃんと書いたのに、川端はお茶を濁す程度にしか書かなかったと不満を漏らしている。 

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http://odin2099.exblog.jp/20807024
どこぞの阿呆なニュースサイトのおかげで、私が「逆ギレした」などというデマが飛び交っている。仮にあるとしたら「リアルタイムで読んでないのがまるわかり」などとツイッターで書いたやつに、ちゃんと観ていると返事したのだけである。

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木村久邇典の『素顔の山本周五郎』に、山周が広津和郎を尊敬していたという話が出てくる。そこで、広津は将棋を知らないのに、ある時、友人との言葉のやりとりでどうしても手合せしなければならなくなり、一晩待ってもらって翌日対局して勝ったという話が出てくる。広津は徹夜して、ある棋譜を全部暗記して、その通り指した、という。
 だがこの話はおかしいので、いくら棋譜を暗記しても、相手が棋譜の通り指すとは限らないのだ。そこに、この話の嘘がある。人はしかし、存外こういう嘘に騙される。