祭りと柳田國男

 私が大学生のころ、越谷市の商店街で夏祭りがあって、遊びに来た後藤と一緒に出かけたことがあった。しかし大変な人ごみで、暑いし、帰ってきてぶつぶつ言っていると、母が、私は祭とか好きなんだと思っていた、と言ったのである。いや全然、と答えたのだが、なんで私が祭が好きだなどと思ったのか。当時は単に言葉の勢いで言っただけだと思っていたし、実際そうなのかもしれないが、歌舞伎が好きだったから、民俗藝能とかにも関心があると思ったのかもしれないし、柳田國男的な関心があると思ったのかもしれない。だがのちに私は大の柳田嫌いになるのである。
 柳田には明らかにオリエンタリズムがあって、自分は兄弟に井上通泰、松岡映丘のような大物を持ち、自身は東大卒の官僚であるから、庶民というものを自分とは別種の生物のように観察できたのだ。私は庶民の出だから、そんなものに関心を持ったらそこへ自分自身が転げ落ちるような気がするのである。大岡昇平は、「株屋の息子」で、母は元藝者だという意識があったから、柳田が大嫌いだと言っていた。
 佐伯さんなども柳田好きだったがあの人も長州の家臣の家柄である。『岩波講座 日本の思想』に「妹の力」について書いているが、佐伯さんが初めて学術論文を書いたような気がする。むしろこれまでの自身の歩みを反省するものであろうか。義江明子先生が書いたのと基本的には同じことだが、より冷静に書かれている。 

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ちょっとした知り合いだった東大教授だったF先生の夫人が参院選に出ている。それで、選挙運動の郵便物が送られてくるのである。こないだは、知り合いの名前を教えてくれというのが来た。今日は葉書が来た。F先生は、ことさら大過ない人であるが、こんなことのためにイメージダウンしている。
 最近は、選挙カーというのもあまりうるさくなくなったが、こういうことがあると、ああ選挙に出るっていやなことだなあと盆栽老人のように思うのである。出たいなら出ればよろしいが、どうせ入れやしない人に郵便物を送って何になるのかと、むなしくなるのである。田舎のおじさんおばさんなら何かしてくれるかしれないが、大学教授とか学者のまともな人には、無意味である。やっぱり選挙なんてうすぎたないものだ、と思うのである。

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今日は国会図書館の郵送複写係と電話でやりあった。というのは、
平山久雄教授 定年退職記念号
教養諸学研究 (114), 1-279,1〜20, 2003-00-00
 の中に年譜があると考え、このうち年譜のみと頼んだのだが、その確認の電話であった。しかし、これは一号まるごと入れているのである。記事別にすべきものである。ところがあちらは、こういう時は記事からの申し込みでなく、『教養諸学研究』の該当号から当該箇所を指定してくれと言うのである。それはおかしい。だいたい、これが記事として挙がっていること自体がおかしいので、誰がこんなもの丸ごと複写するか。
 しかも、
池田亀鑑博士年譜--附・著書要目及び講義題目
国語と国文学 34(2), ????, 1957-01-00
 こういう場合、年譜だけほしい時は、この記事を指定して、「年譜のみ」とやっているので、それとどう違うのか。相手がなかなか理解しないから実例をあげたら納得した。