山本覚馬の二番目の妻

 今日の大河ドラマで小田時栄が出てきたが、あれが山本覚馬の後妻になって、徳冨蘆花の恋の相手の久栄を生むことになる。のち明治18年に、覚馬に継嗣がないので養子を迎えることにして会津から男を呼び寄せたが、そのうち時栄が妊娠し、覚馬が覚えがないというので、その養子と密通したのだということになって、追い出される。このことは蘆花の私小説『黒い眼と茶色の目』に書いてあり、中野好夫は『蘆花徳冨健次郎』で、この養子を望月興三郎としたのだが、京都の丸本志郎という人が調べて、激しい反駁を加えた。
 中野は『中野好夫集』の付記でこのことに触れているのだが、作中で「秋月隆四郎」とされている養子には兄がいて、それが望月興三郎だったというのだが、丸本が戸籍を見ると、興三郎には兄も弟もない、という。だが、中野も河野仁昭『蘆花の青春』でも、時栄が山本家を出されたのは事実なので、何か不祥事があり、それは蘆花が書いたのとさして違わないだろうということにしている。ところでこの丸本という人の文はみな私家版で、入手が難しい。
 覚馬の最初の妻との間の娘が峰で、これは横井小楠の子の時雄に嫁いだが、出産の時に死んでしまう。ところがこの横井時雄は、伊勢時雄と名のっており、『黒い眼と茶色の目』でも「能勢」の名で出ている。中野も、時に横井時雄、時に伊勢を使っており、なぜ伊勢を名のったのか分からない。
 そこで太田雄三先生に問うてみたら、時雄の従兄である横井佐平太が米国へ密航した際、「伊勢佐太郎」を名のっていたので、佐平太を尊敬する時雄はそれに倣ったのではないかということであった。
 ところで丸本志郎は、1911年4月8日京都市生まれ、同志社中学、京都薬科専門学校卒で、1935年から49年まで薬局店主で、92年には半休眠会社「まるもと」社長とある(『山本覚馬の妻と娘』まるもと)。てっきり「まるもと」というのは自費出版かと思ったが、まあ自費出版なのだろうが、一応会社名ではある。今も存命なら102歳だが、分からない。