著者は誰か 問題

 徳川時代後期に、越後の人・鈴木牧之が著したとされる『北越雪譜』という本がある。大変有名なもので、越後における雪国の様子を活写した地誌である。牧之は越後の裕福な商人で、はじめ原稿を曲亭馬琴に預けていたが、馬琴が、このままでは刊行できないとして十数年放置し、ついに三東京山がひきうけて刊行した。
 岩波文庫版は1936年に出ており、これによって広く知られ、『雪国』を執筆中の川端康成も、途中からこれを利用した。当初は「鈴木牧之著」だったが、戦後「鈴木牧之 著 ; 山東京山 刪作」に訂正され、78年の改版で「鈴木牧之編撰、京山人百樹 刪定」に変わって今日に至っている。ほかは、
名著刊行会、1968年 鈴木牧之 撰 ; 京水百鶴 画 ; 京山人百樹 刪定.
日本庶民生活史料集成. 第9巻 三一書房, 1969 鈴木牧之編 京山人百樹刪定 
野島出版 1970 鈴木牧之撰 京山人百樹 刪定. 
 だがこれは93年から「鈴木牧之著」に変わっている。また、
鈴木牧之 著 ; 池内紀 現代語訳・解説 小学館地球人ライブラリー 1997
 というのもある。
 「撰」というのは「著」に代わるシナ風の表現で、多くの漢字の中から選んだという意味だが、この字を使う必然性はないわけである。
 なぜこうなるのかというと、牧之が書いたものは、スケッチであって読物になっていないため、京山がかなり手を加えており、事実上これは、牧之・京山共著だからである。京山がおおはばに手を加えなければ、これは刊行されなかっただろう。馬琴がなかなか刊行できなかったのも、牧之の原稿が、そのままでは使えなかったからである。詳細は津田眞弓による『山東京山』に詳しい。

 さて、山口百恵の自伝『蒼い時』が、山口の話をもとに残間里江子が書いたものであることはよく知られている。藝能人だってバカではないが、書くとなるとうまく書けない人もいるから、よくあることだし、ゴーストライターが書いて「自伝」と銘打つこともある。
 で、この件である。
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20081226/1230314859
 まあ私も唐沢俊一に、「朝日新聞」で『日本売春史』について不正確な書評を書かれているから、それはいいのだが、ちと厳しすぎるのではないかと思った。潮健児自身が、これは唐沢さんの本です、と言ったと書かれているし、むしろ、ゴーストにならず、かつ潮が語ったのを唐沢がまとめたということが分かって、特に問題があるとは思わなかった。
 この人も筆がすべっていて、「『星を喰った男』は「自伝」としては文句なく面白いけど「評伝」としてはまるでダメである。まず、潮氏に不都合な事実が書かれていない。」などとあるのだが、この世には「まんじゅう本」として、不都合な事実が書かれていない、対象ヨイショの評伝なぞいくらもある。現に私などは、ヨイショ伝記を書かないから、伝記を書くたびに関係者から嫌われていく。井上ひさし伝とか、梅原猛伝とか、本人の弟子筋が書いているからひどいものである。川西政明埴谷雄高とか武田泰淳も、それに次ぐ。その意味で、唐沢だけを弾劾するのは、間違いであろう。
(付記)
 すぐ返答があった。
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20130414
 まあしかし文庫のほうも、書誌では「潮健児述、唐沢俊一編著」とある。あと、潮が書いた五百枚の原稿というのは、これは誰も見ていないわけで、まあ潮は俳優であるし、そのまま使えなかった、ということもありうる。だから潮は、「唐沢さんの言葉は、僕の言葉です」と言ったわけである。
 いまちょうど、西河克己『『伊豆の踊子』物語』を読んでいたのだが、この本は変で、明らかに西河が書いていないところがほとんどなのである。何しろ、「西河はこう語っている」なんて地の文が出てくる。これは西河の書いた断片を阿部嘉昭がまとめたもので、むしろ阿部嘉昭編著としてもいいのじゃないかと思う。ブログ主は、唐沢を指弾するために書いているので、どうもその辺がかたよっていて、「潮健児述、唐沢俊一編著」は、最も正確に、著作の成り立ちを記した書誌ではないかと思う。世の中にはひどい本もあって、『村岡伊平治自伝』(講談社文庫)は、表紙にでかでかと「企画・今村昌平」とある。しかしこれは今村が、半ば秋元松代の「村岡伊平治伝」をパクって作った映画「女衒」を撮ったためで、実際に文字起こしをした人の名は、奥付に小さく出ているだけなのである。恐らく今村は、映画は撮ったが、自伝に関しては何もしていないだろう。そんな例をたくさん目にしてきた私としては、潮健児は主役なのだし、この表記がいちばんいいと思うのである。
小谷野敦