ミネルヴァ書房の『究(きわめる)』(しかしこれ、検索しづらいんだよね)の三月号に、連載している佐伯順子さんの「教授夫(人)」というエッセイが載っていた。なんでも、最近観た舞台らしいが、脇役として、中学生の頃から教授夫人になることを夢みてそれを実現した女が出てきて、それは揶揄されているからいいのだが、同時期仕事で読んだ長篇らしき小説のヒロインが教授夫人で、最後は夫を若い女にとられ、「これであの女も教授夫人の地位を手に入れたのね」とか言うらしく、そんなことをアイデンティティにしていたのか、と痛罵するという内容。しかしこれ、いずれも作品名が書いてない。後者は作品自体を貶しているらしいからか。知っている人は教えてほしい。後者は『ばらの騎士』みたいな筋だが、円地文子の『私も燃えている』もそんな感じか。
 で、「教授夫」になりたいという男が出てくる小説や戯曲はない、と言う。まあ実際「三島由紀夫夫人」とはいうが、「林芙美子夫」という成語はなくて、私も時おり不便をしたのだが、西洋なんか、今はそういうことはないだろうが、1970年代には「Mrs. Bil Clinton」でクリントン夫人を意味したくらいだからもっとすごい。そういえばこないだ観たサッチャーの映画で、「男爵夫人」と字幕があったように思うが、あれは「女男爵」が正しい。
 なんだか、「外交官配偶者」を過去の履歴としている瀬々敦子さんを思い出すのだが、これは職業としてあるらしく、女外交官の夫でもいいわけだから、「教授配偶者」でもいいのだが、いずれにせよ、今どき、教授夫人になりたいなどと思う女は現実にはめったにいなくて、
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0913/262547.htm
 ここでも結構バカにされている。しかし佐伯さんいったいなんでそうムキになって怒っているのかという気がしないでもない。