なぜ「自伝」か

 図書館で『みすず』の読書アンケートを見ていたら、私も読んだ『ベンジャミン・フランクリンアメリカ人になる』をとりあげていた人がいて、これは『フランクリン自伝』の読み直しのためのものであるなどと書いてあり、『フランクリン自伝』は日本では『福翁自伝』を読む際の規範とされているなどと書いてあった。そのあと岩波の『図書』を見たら、平川先生が日本古典文学大系明治篇の月報に「自伝文学の復権」を書いたとし、『福翁自伝』のオランダ語訳が出た時の書評を翻訳していた。オランダ語はドイツ語の方言みたいなものだから、ドイツ、フランス、英語が出来たらすぐ訳せる。
 しかし、自伝というものになぜそう特権的な地位が与えられるのか私には分からないのである。佐伯彰一先生もそういうことを言っていたが、『自伝の世紀』を見ると、別に自伝以外の伝記も参照されているのである。私にとって、自伝というのは、伝記を見るための一次資料ではあっても、特段それが他の伝記より優れたものだとかは考えられないし、『フランクリン自伝』などというのは、自伝が伝記に比べていかにつまらないかの好例だと思っている。
 伝記においてこそ、自伝の特権的地位は廃棄されるべきだと思うのである。山田耕筰の自伝は、しかし面白い。 

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久米正雄の戦後のエロティック中間小説で、題名不詳のまま「三本の陰毛」としておいたものは、銀座出版社の『サロン』1949年6月号に「三毫の春」として出ていたことが分かった。この『サロン』は、吉田満の『軍艦大和』口語体120枚が一挙掲載されたものである。さて、しかしここに、城山三郎の名で「女子大学生の生態」という三ページのちょっとしたエロルポ記事が載っているのだが、果たしてこれはあの城山三郎なのだろうか。当時杉浦英一青年は22歳で一橋大学在学中である。城山三郎の名で登場するのは七年もあとのことで、別人のような気もするが。