水海道小学校

 私が小学校三年生の最初の二日ほどまで在籍した水海道小学校の歴史『仰ぐみどりの水海道小学校130年の軌跡』を入手した。2007年に出たものだが、昨年知って、入手するまでわりあい大変だった。もちろん書店取り扱いはない。まず小学校へ電話したのだが、二度くらいかけて、出た人が、「いま分かる者がいない」と言うので、しばらく放置。またかけたら、「いま分かる者がいないので、調べて折り返し電話」すると言い、ほどなく、現物を見て、名村栄治という人が編纂者でと、その電話番号を教えてくれたが、それが一関の番号だった。
 この名村という人は、調べたら分かった。70代で、卒業生、法政大卒、読売の記者をしていた人である。電話すると、何のことはない、水戸の歴史観にあるという。茨城県立歴史館で、この小学校の建物が移築されている場所である。そこで歴史館へ電話をして(ウェブサイトには刊行物一覧もあったがそこにはなかった)訊き、現金書留を送ってようやく入手した。
 B5版600ページ弱の大冊で、写真も豊富でよく出来た本である。もっとも私に関連してくるのは五年程度しかないわけで、私の一、二年の担任だった海老原昭子先生の名もあった。海老原先生は当時20代でもあったか、一日に国語の授業を二度やった方だった。
校歌の歌詞は載っていたのだが(西条八十)、曲は思い出せない。記念碑的な校舎は特に有名な建築家の設計ではない明治初期のものだが、作った大工の棟梁は羽田甚蔵で、羽田美智子の曽祖父だかに当たるらしい。

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週刊朝日永江朗が、岩波文庫の『谷川俊太郎詩集』をとりあげて、岩波文庫は物故者が入るものじゃなかったのか、と書いている。『寒村自伝』は荒畑寒村が生きている時に入ったしそうでもなかったということになるのだが、私も若いころはそう思っていて、石川淳とか野間宏は例外的に入っているのだと思っていた。
 だが歴史的に見るなら、昭和二年に創刊した岩波文庫も、当初は存命中の著者のものが入ることは多く、その後次第にそれら著者が死んで、逆に新しい著者のものは入れずに来たため、1970年ころには、物故者の著作が主として入る文庫という印象を、新潮、角川など他社文庫に比べて与える結果になったのである。
 以前調べた、存命中に岩波文庫に入った一覧というのがある。