アルヴィ宮本なほ子さんと訳したハロルド・ブルームの『影響の不安』(新曜社)の、本文の最後(228p)に、シャンドール・フェレンツィの『タラスサー性器性欲の理論』という書名が出てくる。タラスサはギリシア語で「海」だが、これはクセノポンの『アナバシス』に出てくる「海だ、海だ」(タラッサ、タラッサ)を踏まえており、ブルームもそれを意識して引いたのだろう、ということに気付いた。『アナバシス』は、ギリシア軍がアケメネス朝ペルシアとの戦いに敗れて逃げ延びた記録である。考えてみたら、アイリス・マードックの『The Sea, the Sea』もそうなので、「海よ、海」と訳されているが、おそらく本当は「海だ、海だ」なのだろう。したがって「タラッサ」とするのが正しかったと思う。

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『文壇落葉集』(川村湊、守屋貴嗣編、毎日新聞社、2005)は、昭和初期、東京日日新聞学芸部に、文学者から来た書簡類が大量に見つかったのを編纂したものだ。私は谷崎伝を書くときには参照したのだが、久米伝の時には忘れていた。
 今回改めて見てみると、年次確定はいいのだが、各文学者のあとについている注釈が変だ。これは川村が書いたもので、蛇足かもしれないとあるが、蛇足というより、変である。
 たとえば川端康成は、日日新聞学芸部に随筆を送って、採用可否を尋ねている。実はこのほかに、日日新聞学芸部の沖本常吉宛のものが『日本近代文学館』に載っていて、そこでは盛んに売り込みをしている。川村は、依頼もされないのに勝手に原稿を送っていて、一般世間なら考えられない、と書いている。しかしそれはセールスマンがしていることと同じではないか。作家にせよ文筆家にせよ、よほどの大家でない限り、持ち込みはするものである。
 次に久米正雄のは一通、湯河原にいて、女優の及川道子と会って喜び、及川のブロマイド絵葉書でそれを旧知の記者に言い送ったものだが、川村はこれを「ミーハーぶり」と呼び、文壇が今と違って芸能界と隔絶していた時代を思わせると書いている。文壇が芸能界と隔絶するどころか、むしろ多くの作家が演劇や映画に関わっていたのが大正‐昭和初期であるし、今の作家だって、美人女優に会ったらこれくらい書くだろう。
 また最後に載っているのが龍胆寺雄の、「文壇の先輩知友に告ぐ」というのを書きたいという手紙だが、川村は、龍胆寺は川端との確執で文壇を去ったとの噂があるが、川端が新感覚派として新興芸術派の動きをセーヴしたのか、などと書いている。れっきとした事実があるのに、全然調べていないのである。
 もっとちゃんとした文学研究者がやるべきだったろう、と思う。