http://miura.k-server.org/newpage1126.htm

編者でもある鈴木啓介 (都立高校教諭) は、日本人が朝鮮人に対して持つ蔑視をやめさせようとして授業での実践を行っているが、「私は何もしないのに在日朝鮮人にいじめられた。 朝鮮人は嫌いだ」 という文章を寄せた生徒に、朝鮮人だって日本人からいじめられてきたのだと諭すようなやり方をしているけれど、これじゃダメだと思う。そういう生徒のためには、自ら朝鮮人学校に断固として抗議しに行き、その上で朝鮮人差別について語らなければ、鈴木の授業は知識人にありがちな机上の空論=単なる綺麗ごとに終わってしまうだろう。くだんの生徒は、おそらく鈴木のそういうダメさを認識して卒業していったことだろう。

いや、それはおかしい。「私は開成高校の生徒にいじめられた。開成高校は嫌いだ」と言ったら、開成高校の生徒がみないじめをするわけではない、と言うべきであって、開成高校へ抗議に行かないだろう。じゃあ同じ高校の生徒にいじめられたらどこへ断固として抗議に行くのだ。 

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平凡社の『太陽』という雑誌がなくなって久しいが、『別冊太陽』が残っているせいか、概括した文章というのをあまり見かけない。まあ一言で言えば、批評のない雑誌だったということだ。日本と西洋の有名な文学・美術・建築などの特集が主で、写真が中心のグラフ誌。私も若いころは泉鏡花特集とか買ったことがあるが、別に批評があるわけじゃなくて、ただ鏡花は美しい、と褒めるだけの雑誌であった。おしまいあたりは、保守雑誌みたいに「日本が世界に誇る百の文化」みたいな特集もやっていて、高齢者向け雑誌になっていたなあ。『東京人』とかいうのが一番あれに近いか。もっとも『東京人』は丸谷才一グループのマスコミ批判座談会があったから、あの頃はまだ違ったが、今の『東京人』。