里見トンの『荊棘の冠』は実家へやってしまったので、図書館で講談社文芸文庫を見ようと「荊棘の冠」で検索すると、出ない。ないはずはないので「の冠」「里見」で検索したら出た。つまりタイトルが「荊棘(いばら)の冠」になっているから。私だから検索できるが、一般人では見つけ出せまい。これ、何とかしたほうがいいぞ。 

                                                                    • -

海外(英米)の人文系学術書を読んでいて(といっても、昔は読んだが今は「見る」だけである)、最後に conclusion というのがついていることがあり、どうも違和感があった。自然科学の論文の体裁に倣ったものだろうが、人文科学というのは、その場その場で書かれたことがいわば結論であり、summary なら分かるが、あたかもこの論述によって何かが判明した、というがごとき conclusionは変なのではないかと思うことが少なくなかった。
 最近はさすがにこういうのも減っていて、今手近にある英語の学術書を見たら最後は「coda」になっていた。これはよろしい。
 しかしその一方、日本の学術書は、そっけない。雑誌掲載の論文は、英文要約をつけることがあるが、単行本になるとそれもなくなる。要約だけ読まれてはたまらんとか、学生が手抜きしたら困るとかいうことかもしれないが、一般読者のためにつけたらいいのではなかろうか。