呉智英さんの新刊『真実の「名古屋論」』を読んだら、浅井得一の『愛知県人と名古屋人』という本がこきおろされていたのだが、この浅井というのは、京大大東亜地政学の一派で、戦時中ビルマで陸軍司政官をしていて、バー・モウを暗殺しようとした人だろう。浅井著の前半は名古屋とも愛知県とも関係なく、国際情勢とかインパール作戦のこととかが書いてある、と呉さんは書いているのだが、そりゃインパール作戦については書きたくなるだろう。呉さんはネットをやらないから、浅井のことも気づかなかったのかなあ。

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昨日の「東京新聞」の書評欄に、レヴィ=ストロースの『野生の思考』の紹介があって、それがソシュールの恣意性の話から始まる。「海」という音と海の間に必然的なつながりはないといって、そこから構造主義が始まるというんだが、恣意性より分節のほうが重要だと丸山圭三郎も言っていたし、恣意性から構造主義にはならんのじゃないか。
 柄谷行人が「サブカルチャーには構造しかない」と言ったと、大塚英志が引いていたのだが、なんかおかしい。つまり筋のことで、プロップの民話論みたいなことを考えたんだろうが、柄谷がアニメとか観ているとは思えないし、構造以外のもの、たとえば美少女の顔とかメカのデザインとかいろいろあるだろうに。どうも大塚も柄谷コンプレックスがあっていかんよ。