大江健三郎「火山」

 1978年秋、高校一年生だった私は、『国文学解釈と鑑賞』の「作家と出発期」という特集号を買った。作家になろうと考え始めていたため、この特集が気になったのであり、その巻末におかれた、戦後作家処女作一覧など、葦編三絶するほどに開き見たものである。
 そこに、柘植光彦の『現代文学試論』という、至文堂から出た本の広告があった。柘植は当時40歳、専修大助教授だった。埴谷雄高福永武彦大江健三郎、三島を扱い、それぞれ作品論があった。だが大江の分は「火山」論とあって、私は首をひねった。「火山」なんて作品があっただろうか。
 当初私はこれを、大江の新作ではないかと考えた。何しろ高校一年生だから、自分の知らない新作があってもおかしくないと思ったのだ。だが、実際には既に講談社文庫の『万延元年のフットボール』の年譜でも見ていた、1955年、20歳の大江が書き、銀杏並木賞を受けて『学園』に発表され、のち単行本に入れられることのなかった「奇妙な仕事」以前の作品であることが分かった。
 今なお、「火山」を読むのは難しい。国会図書館に『学園』はあるが、複写不可である。東大駒場で出していた雑誌なので駒場図書館にあるので、今度見てくるが、柘植の引用と詳しいあらすじが『現代文学試論』に載っている。文体は既に大江のもので、筋は、「ユマニスト党」の党員だった女子学生のL子が自殺したあと、「僕」がS火山へ出向き、そこで新物質Mが火山一帯に存在しているという話を知る。外国兵士団なる団体が、新物質の調査のため、火山の人口噴火を画策しており、農民たちがそれを阻止しようとしている。仔山羊やら義足の少女やらが登場し、「僕」は、L子に対してと同じく、農民に対しても「傍観者」である自分を恥じる。
 というものらしい。何やら倉橋由美子安部公房を思わせるSF仕立てだが、後年の大江を予感させるモティーフも多いのみならず、女子学生の自殺という発端は村上春樹すら予見している(どうも昔の作家は女の自殺が好きらしい)。
 雑誌掲載時、あまりに誤植が多かったというが、分かる誤植なら直せばいいので、何とか初期作品集として読めるようにしてほしい気もする。
 (小谷野敦