高田先生は間違えただけなんだ

 『文藝春秋』11月号を立ち読みしたら、「60歳になったら再読したい本」とかいう小文特集があって、渡辺京二高田衛の『八犬伝の世界』(中公新書)をあげていたが、最後に、高田は八犬士の「シバルリー」をseverelyと解しているがこれはchivalry ではないかと書いてあった。あれはねえ、高田先生の単純な勘違いで、シバルリーとしたのは北村透谷でもちろん騎士道なんだが、どこで何を勘違いしたのかseverely として「厳格さ」としたんだ。すぐあちこちから指摘があったらしい。今度明大を辞めた百川敬仁先生も、読んでびっくりして連絡したと言っていた。
 だから二刷からは「chivalry」「騎士道」に直っていて、幸い売れて、私が読んだ86年には7刷くらいだったから、あとでUBCの図書館で初版本を見るまで知らなかったんだ。書評には書いてあったかな。しかしそれは高田先生はあとでちくま学芸文庫に『完本八犬伝の世界』を入れているんだから、そっちを見ないとダメでしょう渡辺京二。高田先生としては忘れたい過去なんだから。
 高田先生が、伏姫を文殊菩薩とした説は徳田武の批判を受けて論争になったのだが、高田は、明治期以来の馬琴尊皇家説を否定していて、徳田はどちらかといえばそっち寄り、馬琴は徳川幕府の滅亡を予言した、と言ったと見られていたが、馬琴のは蒲生君平と同じだから、幕府と朝廷が協力して外国に当たれという説だったと思う。
 それで最後の管領戦は、安房を日本に見立てた対外戦争だというのが私の説だが、これは高田は認めていない。あの時点では戯作はそのような政治を反映する段階を過ぎて成熟していたから、というのだが、さほど積極的な反論にはなっていない。先日見た内田保広の「玉梓以前」も、私の説はとらない、としていたが、まあ、私としてはこっちもそう積極的な裏づけはないのでいいのだが、しかし一貫性はあるんだよね。
 徳田武学士院賞受賞の学者で、親の代からの学者なので、書庫を歩いていて何々を見つけたとか、羨ましいことを書く。しかしこの人は漢文学が専門、高田は秋成、東大の長島先生も秋成で、馬琴専門といったら柴田光彦、板坂則子、高木元、播本眞一だが、播本は尊皇家説である。
 津田眞弓の『山東京山』を読んでいたら、天保六年九月二十五日、京山のところへ馬琴の手紙が届いて、鈴木牧之宛の手紙が同封されていて、それを読んだ京山が怒って反論したというふうに書いてあるのだが、馬琴が牧之へ手紙を出すのに京山宛の手紙に同封するはずがないので、牧之が京山に見せたんだと思うんだがなあ。