由紀草一氏との対話

 ブログ記事へのコメントを、由紀草一という方から貰った。茨城の伊奈の人で、高校はうちの父(ヌエ)と同じらしい。そういえば済世会とかいう同窓会の案内がよく来ていた。
 著書も数冊、新書判であるので、『軟弱者の憲法論』というのを読んでみた。これは要するに九条改憲論だが、まえがきのところに、「私は右翼ではない。天皇制は支持するが」とあったので、私は『天皇制批判の常識』を送り、それから議論になっている。許可を得てここに載せるが、途中までは、右往左往していたので、前回の由紀氏のメールから、必要なところだけ抜く。その前に私は、天皇はいてもいいが、法から外して、家元のように京都にいて、好きな人が支持していればいいのではないかと言ったのだが、由紀氏は、法で定めたほうがいいと言う。

由紀氏

>さて、君主制のほうがいいとのことですが、それはなぜでしょう。
 理由は以前に申したことでほぼ尽きています。が、もうちょっと深いんじゃないかな、と思えるところを言ってみましょう。ほんのお笑い草にでもなれば。
国家元首とか、象徴とか、本当はどういうものか、たいへんな難問ですけど、たぶん、あったほうがいい。国家は共同幻想(みんながあると思っているからあるもの)なので、その幻想の核になるものが。
日本文化は天皇なんかいなくてもすばらしいというのはお説の通りですけど、普通の人は「源氏物語」を原文で読んだりしませんから(私ももちろん読んでません)、アイデンテティの核らしきものは、生きた人間の姿をしていてもらったほうがありがたい。
ただ、この核自体が明確な政治意思をもって、例えば外国を攻撃しようなどと言い出すと、議会などで止められるとしても、甚だ面倒。権威だけはあって権力はない存在がいい、だけではなく、政治的な発言も控えてもらったほうがいい。それには大統領より君主が自然じゃないですか?
それで象徴大統領を、となるんですね。私はヨーロッパなどの象徴大統領制の実態はよく知りませんが、仮に、現在の日本の、天皇の役割をする人を選挙で選ぶとしたら、誰がなりたがるのですか? だって、上記のようなわけで、言動はかなり制限される。言論の自由なんて、ありゃしません。
それでもって、最大の仕事の一つは、儀式のとき身じろぎもせずに座っていることなんですよ。私だったら5分もしないうちに居眠りしちまうでしょう。そんなことをしたら、大正天皇と同じ悪口を言われるわけで。いやあ、たいへんだなあ、と、本当にこの点だけは私は天皇を尊敬しておるのです。
>まあ実害をこうむっているのは皇族かもしれませんが
というのは、そういう意味も入っていますか? それなら同感です。ただ、
>次に天皇になる人の妃になろうという人はいないでしょうね。
はどうですかね? 天皇にはなりたくなくても、妃には、殊に若いうちの皇太子妃には。「ローマの休日」のアン王女などの、きらびやかなイメージがある限り、女性を惹きつけることができるんじゃないかなあ。もちろんただ着飾るだけではなく、文字通り全国民、ではなくても、大多数の国民に注目される、というところがこの場合の大きなポイントです。
まあ、今のままなら、次の次の天皇まではもう妃がいますんで、問題はその次ですが。これはどうなるか、生きているうちに結果を見られるかな。
老後の楽しみの一つにしておきましょう。

由紀さま
 いや、美智子、雅子とあれだけひどい目に遭ったのだから、もう后になろうなんてのは馬鹿しかいないでしょう。皇室だって馬鹿を皇后にしたくはないでしょう。
 現にドイツだってイタリアだって象徴大統領はいるわけで、別におかしくはありません。
 『源氏物語』を読まなくたって、日本語というものがあって、畳とかアニメとか、いくらでも日本文化を表象するものはあるわけで、かつ私は、法に規定されない天皇はいてもいいと言っているのだから、好きな人はそれこそ創価学会の人が池田大作を崇拝するようにその天皇を崇拝していればいいのですよ。
 由紀さんは「天皇はいたほうがいい」と言い、私は「法的に定めなくてもいいのではないか」と言い、由紀さんが「君主制のほうがいい」と言い、私が「なぜか」と言うと、最初と同じことを言うので、これじゃ堂々巡りです。法で定めなければならない理由は、まだ聞いていません。
 ではもし由紀さんが中学の先生になって、差別がいけないならなんで天皇制はいいのか、と生徒に訊かれたら、何と言うのですか。あの人たちだけ、生まれのおかげで有名になっている、ずるいと言われたら?
 まあそれを言えば金持ちの家に生まれるというのもあるのですが、私としては法で身分制を規定するのは許すことができませんね。
 あといかんのは、私のあの本に、「右翼」の人たちが沈黙を決め込んでいることで、もっと盛んに議論をしなければいけないと思います。まあ天皇に限りませんが。

由紀氏