竹内洋先生の『メディアと知識人』という清水幾太郎論が届く。竹内の世代(70代)には、清水は必読書だったと言い、十歳くらい下の人は「過去の人でしょう」と言う、とある。私の世代になると、まず西田幾多郎と区別するための人であり、西田は「きたろう」で清水は「いくたろう」と知っていたらインテリだった。高校の担任教師は西田幾多郎を「いくたろう」と読んで私に訂正されていた。 
 ところでここにも書かれているが、よく日本が戦争に負けて、人々の言うことががらりと変わったので、その変節ぶりに失望したということ。まあ変節は今でもあるが、私たちは、そういう経験をしていない。だから、この感覚が分かりにくい。