日経新聞の短評

(6月23日記)
 『日経新聞』この日の読書欄に『21世紀の落語入門』の短評があるのを今日見てきた。上のほうにある竹下節子さんの美貌を拝んだ記憶はあるから見落としたのだ。
 「(大意)落語は目で見る耳で聴くといった楽しみ方があるが、著者は頭で楽しむほうらしい」
 こういうバカ。目だろうが耳だろうがそれは全部脳で処理されるのであって、それとは別個に頭で、なんてえことはないのだ。まあ昔からいるわな、「頭で理解するか心で感じるか」みたいなことを言うバカ。私が修士論文を出した時も、伊東俊太郎って人が「文学ってのはこんな風に頭でっかちに読むものかねえ」なんて言っていた。
 つぎ、「寄席へいかず興津要の『古典落語』を読めとか、志ん生が分からないとかいう論の是非はともかく」
 寄席へ行くななんて、私は書いていない。志ん生が分からないといっても、私は「紀州」とか短いのは面白いと書いているし、それは「論」ではない。短評だから意を尽くせないと言うかしれないが、短評でも頭のいい者は間違わないことを書くものだ。