メトロン星人の煙草 

 最近雑誌でよく安冨歩という人が出てくる。「東大話法」とかいうので話題の人らしい。本人は経済学専攻で、東大東文研の教授である。まあこれはしかし、キャッチフレーズの問題で、普通は「官僚的な回答」とかいうのを「東大話法」と言い換えているだけだ。
 ところが『一冊の本』4月号が届いて、この安冨氏が書いている。伊藤計劃の『虐殺器官』について、失敗していると言い、それはチョムスキー言語学を用いたからだと言って、チョムスキー言語学を否定するのである。私は別に、どこかの誰かみたいに、チョムスキーを否定するなんてけしからんと騒ぎはしないが、この人は筆致からするに、チョムスキー系の言語学についてちゃんと勉強したことがないのではないかと思う。
 それはともかく、『ハーモニー』が良かったので読んでみたが『虐殺器官』は良くなかった。いかにも軍事的なディテールを描きこんでいるという文章もまずい。問題はあの「虐殺の言語」だが、伊藤もここで、「SFにおける物理」に引っかかってしまったのだと思う。パソコン以後のSFというのはしばしば、通信回路だけで物理的な何かを動かすというアイディアにとらえられる。だが、現実には物理的なものは物理的にしか動かないのである。コンピューター二千年問題などというのはそれが現実化した例で、人々は大混乱が起きると思っていたが何も起こらなかった。『サマーウォーズ』なんてのも、やはりその典型的な例である。以前、ネット上で私と言い合いになって、「きさまのパソコンから紫の煙を上げてやるぞ」と言った奴がいたが、上がらなかった。電気的信号だけで物理的な何かを引き起こすというのは、現時点では夢物語でしかなく、堅牢に構築されたように見えるSFでも、メトロン星人の煙草程度のものでしかないのである。