比較文化論のインチキ 

 日本人ははっきりものを言わないとか、以心伝心だとか、わびだとかさびだとかいうのだが、それと対照させて、西洋人ははっきりものを言うとか、果ては上司や教師といった目上の人にもはっきりものを言うとかいうことになると、もう完全に勘違いであり幻想である。日本人だってはっきり言う時は言うし、いわんや西洋人だって口を濁すことはしょっちゅうある。
 それで、そういう胡散臭い比較文化論がいつごろできたのか調べていたが、恐らくはラフカディオ・ハーンの「日本人の微笑」とか「駅頭にて」あたりから、ルース・ベネディクトをへて、あるところでぽーんと「上司や教師でも」というのが付け加わったのだろう。
 先日から目をつけているのが、ハーバート・パッシンという男で、これは文化人類学者だが、日本通とかで、『遠慮と貪欲』とかいう胡散臭い日米比較文化論を1978年に出しているが、ここでは冒頭から、日本人は遠慮がちだが西洋人は違うといったことが前提になっている。
 そのパッシンが、竹村健一加瀬英明と鼎談した『トライアングル対談 アメリカ人の発想・日本人の発想 ”合わせる”文化と”個”の文化』(徳間書店、1979)をぱらぱら見ていたら、こんなのがあった。

加瀬 日本で嫌なことは、人に会うでしょう。そうするとパーティなんかでも必ず「お仕事は何ですか」というのがまずしょっぱなにきますよね。
パッシン アメリカでは、なにもしてないといっても、平気でしょう。
加瀬 だけど日本では「いや、私なにもしてません」なんていったら…・・(笑)向こうはなんか憐れむような顔になっちゃうものね。

 前に書いたことがあるが、工藤美代子の『女が複眼になるとき』と、村上春樹の『やがて哀しき外国語』には、北米のパーティで、工藤、および村上の妻が、「何もしていない」と言って(まだ工藤が作家になる前)、騒然となる、という話が書いてある。まあそれは、北米では専業主婦なんていないのだ、という話かもしれないが、それにしてもアメリカでは、仕事は何か訊かれないなんてことはないわけだし、何もしてないと言っても平気かどうかは、疑わしい。
 比較文化論というのは、だいたいこの手の胡乱なものである。あ、東大の比較文学比較文化というのは、こういう胡散臭い評論をやるところではありません。