先妻を隠蔽する後妻 

 私の『猿之助三代』の最大の功績は、隠蔽されていた二代目猿之助の最初の妻、つまり先代段四郎の母で、今の猿之助段四郎兄弟の祖母のことを明らかにしたことだと自分では思っているのだが、言ってくれた人はいない。
 要するにこの先妻の存在は、後妻となった巾子によって隠蔽されてしまったのだが、後妻が先妻を隠蔽しようとする熱意は驚くべきもので、角川源義の後妻は、春樹らの母の存在を隠蔽しようとしたし、澁澤龍彦の事実上の妻であった矢川澄子は、新しい澁澤のムックに付せられた年譜から、自分の存在が抹消されていたショックから自殺したという観測さえある。
 大宅壮一夫人だった大宅昌も、もしかしたらそうだったのではないか。大宅は、三回結婚している。しかし、年譜の類を見ても、結婚のことは出てこない。それで、大宅の弟子であった大隈秀夫の『マスコミ帝王・裸の大宅壮一』(三省堂、1996)を見て、唸ってしまった。「初の伝記」と銘打たれているが、最初の妻・山本和子については触れられているが、二度目の妻で、結婚後一年たらずで病死した愛子については、父の名前は出てくるが「愛子」という名前がいっぺんも出てこない。なお「愛子」のことは、猪瀬直樹の『マガジン』には出てくるが、死ぬところまで行かずに本自体が終っている。しかし、愛子の死については、当時すでに大宅がマスコミに出ていたこともあって、雑誌記事さえ出ているのである。なのに大隈は、あっさりと片付けている。だから、当時存命だった大宅昌が、あまり書くな、と圧力をかけたのではないかと疑うのである。 
 しかして、こういう、公式記録から隠蔽された過去の事実を明らかにするのに役立つのが、大宅壮一文庫雑誌記事目録なのだから、まことにお笑いである。 

マスコミ帝王 裸の大宅壮一

マスコミ帝王 裸の大宅壮一