言うに忍びないが

 言わないと私の精神状態が危機に陥るので。
 猫猫塾に来た男子。某私大を出てかなりいい大学の院に入ったという子で、論文も活字にしている。先日、夏目漱石から話が正岡子規になって、俳句の歴史を訊いたら、何も知らなかった。俳諧連歌の発句が独立したということさえ知らず、私が連歌以来の歴史を説明して、菟玖波集は日本古典文学大系にも入っている、と言ったら、日本古典文学大系を知らなかった。そのくせ、子規の「俳諧大要」なんかは読んでいるらしい。
 別に某私大だからというのではない。近代日本文学を専攻していて、古典について何も知らないという学生が増えている。それで大学院まで行ったりする。これは教員が悪い。「日本文学史」の授業で、自分の専門だけ教えていたりする。これは、教員自身も無能で知らなかったりするからである。
 デリダフーコーは読んでいるが古典文学について何も知らない(レトリックではなくて本当に)というのが、現代の典型的な「批評家志望」系の学生像である。こういうのは東大にもいる。
 『日本古典文学大系』を知らない日本文学の院生、ということが、いかに私にとってショックであったか、ということは、はっきりさせておきたい。もう来ないだろうが、来なくてよろしい。