『週刊朝日』の「坂の上の雲」シリーズに大阪市大名誉教授の日本史学者・毛利敏彦が登場して、征韓論に関する自説を述べ、毛利説は大きな影響を与えて「征韓論」は「遣韓論」と呼ばれることになった、などと書いてある。
 毛利の説は、『明治六年政変の研究』で、大久保利通江藤新平を排除するのが目的であり、西郷下野はその副産物だったとするものだが、私が『評論家入門』(平凡社新書)で記した通り、この説は佐々木克・家近良樹・田村貞雄らの批判を受けており、学界の定説となったものではない。門外漢として彼らの文章を読んだ私からしても、毛利説は怪しい。いわんや「遣韓論」と既定のことのように書くのはいかがなものか。

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有吉佐和子の『鬼怒川』を読みだしたのだが、こりゃいかんと放り出した。方言がでたらめなのである。藤澤周平の『白き瓶』で私はずいぶん腹を立てたが、素人でなし、なぜちゃんと結城地方の出身者に観て貰わないのだ。有吉は関西人だから、ここにあるのはまったくまがいものの結城弁である。

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http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/what's%20new/paper/koyano3.pdf
今ごろになってこんなものを見つけた。私は揚げ足をとろうとしているのではない。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100214 
 私が書いたのはこれだが、いったいこれに対して鈴木が何を答えたというのだろうか。何一つ答えになっていないではないか。私は「不注意を咎めるつもりで」書いたのではなくて、何を言っているか分からないから書いたのである。「「ヨーロッパやアメリカの(各国「文学」すなわち)人文学」という意味」というのは、どういう意味であろうか。日本では、日本文学の中に美術や哲学が入っている、というのか。英文学にはラスキンだって入っているし、コルリッジには哲学も入っている。まったく、意味不明である。
 なお、各国語に翻訳されているといったことは、レベルが高いということをまったく意味しない。なぜならそれらは、人脈で行われることだからである。柄谷行人の『日本近代文学の起原』だって英訳されているが、あれは柄谷が米国へ行っていたからだし、日文研というのは外国の日本研究者をたくさん呼んでいるから、そこの教授であれば当然たくさん翻訳される。梅原猛の『地獄の思想』などという、ただのエッセイであって学問的にはゼロのものも英訳されている。『人間革命』も英訳されている。
(付記)私は日文研の鈴木氏の研究会の研究員なので、いま鈴木氏にメールを出したら、本を読んでいないだろうと言われた。確かに読んでいない。それには理由があって、片山杜秀の書評を読んだからである。

 日本の大学には文学部がある。倫理も西洋史も宗教も美学も、たいてい文学部の範疇だ。
 不思議ではないか。だって文学者といったら、今日の常識では小説家や詩人に限られてくる。哲学者や歴史家をふつう文学者と呼ばない。
 なぜ、そうなっているか。著者は近代日本における文学なる言葉の歩みを綿密に考証する。
 まず文学者というときの文学は西洋近代の作った狭義の文学観念に基づく。哲学や歴史と別個の美的価値を持つ言語芸術としての文学だ。
 けれども日本人はそんな観念になじみにくかった。「平家物語」や「太平記」は史書か物語か。近松浄瑠璃西鶴の読み物は、語る声や添えられる絵と切り離しては成り立つまい。
 要するに、歴史も哲学も言語芸術も視聴覚芸術も、全部込みにするのが日本の伝統。そういう思想が明治期に大学の文学部を生んだのだ。
 著者はそこに「日本文学」の成立を見る。西洋とは違うトータリティが命の文学観念だ。

 この文章は完結したもので、全部引用すると著作権上問題があるだろうから前半だけにしたが、これではまるで片山の言っていることが意味不明である。だから読まなかったのである。