本年度より立教大学文学研究科特任教授となった笙野頼子が、ウェブちくま上で三回にわたって私の『現代文学論争』にいちゃもんをつけている。これは別に一方的なものではなく、私もウェブちくまに三回書く場を与えられたのだが、それは書かないことにした。そこに書けば、笙野はまた筑摩書房にからんでくるに決まっているからだ。
 なんで筑摩はあんなものを載せる安請け合いをしたのか、などと言っている人がいるが、そもそもの間違いは笙野に連載などさせたことで、だから笙野は連日、担当編集者に電話をかけてきてがあがあ言ったから編集者はノイローゼ状態になり、載せざるをえなくなったのである。
 だいたい前から言っているが、私と笙野教授は、別段意見が相違しているわけではない。純文学擁護という点では一致しているのに、まったく不毛で、論争にすらなっていない。
 単に、笙野が、上野千鶴子が大庭みな子を(文藝評論として)批判したのをとらまえて「女にだけウラもとらず」と批判したのが、上野は男の作家も批判的に論じているし、文学作品を論じるのにウラをとるというのはおかしい、と言ったのが発端である。それに対して笙野が、『早稲田文学』に載せ、ついで『徹底抗戦! 文士の森』(河出書房新社)に載せた文章で私に罵詈雑言を投げつけたのである。
 さらに笙野は、またしても懲りずに河出が出した『人の道御三神といろはにブロガーズ』に付録としてついている「論争福袋」でも、またしても卑怯なことに私を「鰓井博士」などと書いて(筒井康隆か)いろいろとわけの分からんことを書いている。
 「事実誤認百カ所」などというのはまったくのでたらめである。私のところへ来た分は21カ所で、それでも「警察に言った」(海底八幡宮)のを「警察に届けた」と私が書いたら、届けてはいない、と言うレベルのもので、いちゃもんに過ぎない。それでいて、「大学在学中から作家をめざし」と書いたのを、事実誤認だ、公務員試験を受けて落ちたのだ、などと言ってきて、じゃあ訂正しましょうとブログに書くと、プライヴァシーをさらしたなどと言うのだから(いろはに)、人を罠にはめているようなものだ。
 『いろはに』では、どういうわけか、笙野は津島佑子を批判しないのが変だと私が言ったことになっていて、しかしそれはある、と言っているが、『一冊の本』に載ったものなら知っているし『現代文学論争』でも触れているが、ほかにあるのだろうか。あるなら書いておかなければ分からんよ。
 だいたい私は、笙野が徒党を組んだとは書いたが、「誰それを批判していないのはおかしい」というのは、通俗作家でありながら純文学作家として通用している宮本輝高樹のぶ子について言ったのである。しかし笙野は、高樹についてはちらりと批判している。また、東浩紀小谷真理の友人だから批判しない、と書いたのは、後でしていると分かって撤回している。間違えば私は訂正しているのだ。
 しかるに笙野は、文学を論じるのにウラをとるだの、上野千鶴子が「女だけ」批判したなどという途方もないでたらめを、まったく訂正しようとはしない。それで関係ないところでごちゃごちゃと「告発」だの「怪文書」だのと言うのであって、まったく始末に負えない。
 だいいち内容証明にしてからが、私は謝罪を求めたのであって、それすら拒否している。山形浩生小谷真理に謝罪したのに、小谷は多額の賠償金をふっかけて提訴したのである。いかに笙野‐小谷が悪質であるか、分かるであろう。
 立教大の院生諸君は、決してこういう、自分の間違いを認めないという姿勢を学ばないようにお願いしたいものである。

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