社会学と経済学

 赤枝香奈子(1971- )の京大博士論文『近代日本における女同士の親密な関係』が届いたが、うーん五千円も出すほどのものではなかった。
 とにかく序論から、近代になって恋愛は出来ただの、恋愛の起原はトゥルバドゥールだのと古臭い今では無効の説を展開して、佐伯順子だのデビッド・ノッターだのギデンズだの柳父章だのいつもの顔ぶれで感心しない。水野尚なんてトンデモ本の類まで参照されている。
 で、本論は『青鞜』における尾竹紅吉とか、『番茶紅』とか、性科学とか吉屋信子とかになっていくのだが、さして新味はない。それに、なんで中条百合子湯浅芳子を無視するのだ。社会学というのはいかんものだというのは、ギデンズにとらわれ過ぎである、ということが大である。 
 「近代」と限定して、近代しか見ずに話を進めるから偏るのであって、『わが身にたどる姫君』とかを参照しても罰は当たるまいと思うのだが、博士論文だから慎重になったのか、といえば、そうとも言い切れない。 

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前に、経済学というのはまるで役に立たんのではないか、人間はみんなが経済人なわけではないのだ、と言ったら、それをやるのが経済行動学だといわれて、『行動健康経済学』というのをちらりと見てみたら、やっぱり後藤励という人は禁煙ファシストらしい、と分かって、それはともかく、人間が経済合理的に行動するわけではないという分かり切ったことを改めてああだこうだと理屈をつけたりネオロジズムに耽りつつ説明しているだけで、何らヒューリスティックなものがない。これじゃダメだよ。 
 だいたい人間が経済合理的に行動するなら、宝くじなんか一枚も売れないはずである。だから、人間が経済合理的に行動しないことを当てにした行為(宝くじの販売など)について調べないといかんのじゃないか。