一万三千と三千

文學界』の相馬悠々は、桐野夏生角田光代の不遇時代に触れて、不遇な作家を励ましているようである。桐野のエッセイ集『白蛇教異端審問』から、『OUT』を書き始めた経緯が引かれている。『柔らかな頬』を書き直して、なお編集者からダメだと言われた桐野は、ではこれは捨てますと言い、『OUT』を書き始めた、といい、「行き場のない女たち」を描いた、それは自分のことだった、というのである。
 『OUT』は直木賞候補になって落選するが売れ、『柔らかな頬』は書き直して直木賞を受賞した。しかし、桐野のエッセイから、相馬が引いていない箇所がある。『OUT』を書き上げ、刊行してもらえることになったが、部数が一万三千というので落胆する箇所である。
 一万三千で落胆する…。純文学であれば、四千部が三千部に減らされたといって西村賢太が嘆いているところで、ここに純文学と娯楽小説の圧倒的な意識の差が表れている。

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なお金井美恵子先生の、石川淳発言は、『マリ・クレール』1990年12月の荒俣宏中沢新一との鼎談で、これは角川文庫『短篇小説の快楽』の巻頭に載っている。

金井 『雨月物語』で思い出したけど、『雨月物語』を現代風に書き直したこともある石川淳は、どう?
中沢 悪いけど、嫌い。
荒俣 ぼくも嫌い。
金井 面白くないわよね。 
中沢 これを面白がる人って、きっとぼくとは精神構造が違うんだろなって、思ってた。
荒俣 なぜみんながあんなに評価するのか、よく分からない。
中沢 読んでいると、白けちゃう、どの作品もみんなそうなんだ。
荒俣 あれって、不思議だよね。
中沢 名作のほまれ高い『焼跡のイエス』でも、白けちゃう。ぼくは感覚が町人だから、ああいうお武家さん風の小利口さって嫌なの。
金井 そうそう。それがよく分からないの。戦前の『白描』とか、未完に終わった長篇小説の方が、かえっていいと思うの。(略)でも、山田風太郎の方がいいんですよ(略)
中沢 それに石川淳エピゴーネンって出やすいでしょう。
金井 そう、そう。耐えられないものがありますね。
中沢 そうか、よかった。ぼく、みんなが褒めてるから結構、孤独を感じてたんです。
金井 認めないという人は多いでしょう。私、十九歳の時「太宰治賞」の佳作になったんだけど、その作品を強く推してくれたのが石川淳だったので恩人なの。だからあまり悪口は言いたくないんだけど(笑)。石川淳が推してくれなかったら、作家になれなかったので、その点では感謝はしているし、好きな部分もあるんですよ。
中沢 じゃあ、ぼくにとっての山口昌男みたいなものかしら。(笑)
金井 亡くなった途端に裏切って悪口を言い始めるなんてすごいわね。(笑)
中沢 忍従は大切です。(笑)

 なお「佳作」は間違いで、佳作でさえなかったのに石川淳が『展望』に掲載した、と記憶する。しかし中沢新一は、これを読み返して見直したが、さて忍従はあとどれくらいであろうか。
ところでこの『短篇小説の快楽』はブックガイドだが、ちょっと覗いてみたところ、『バカのための読書術』で書いた通り、ほとんどダメである。どれもこれも奇をてらい、やたらと新しいものを挙げ、中には明らかに自分が訳したものとか仲間が訳したものとかばかり挙げている人もいるし、「短篇」じゃないものばかりずらりと挙げている人もいる。猫猫塾の英語の授業で読んでいる短篇の方がずっといいと思う。