込み入った話 

 金井美恵子先生の新刊エッセイ『猫の一年』は、2006年から『別冊文春』に連載されたもので、私は先日買ったのだが、ぱらぱらと見たらサッカーの話ばっかりで、私は『一冊の本』の金井先生の連載「目白雑録」を、島田雅彦丸谷才一の悪口を楽しみに読んでいるのだが、サッカーの話にはまるで興味がないので、やむなく(家の中のスペースの関係上)、ブックオフへ売りに行ったら、その日の深夜過ぎにこんなツイートがあり、
http://twitter.com/kokada_jnet/status/44088152087986176 
 先ほどブックオフへ行ったのだが見つからず、売られた花嫁、じゃない売られたばかりの本が置いてあるカートの中でようやく発見して、立ち読みしてきた。
 そこにも書いてあるのだが、金井先生は1998年頃『一冊の本』に「『二千人の歯医者』と『瀟洒』」というエッセイを書いておられてこれは『重箱のすみ』に入っているのだが、そこでは、新幹線の中で、学者らしい二人づれが、「面識のある宗教学者のN」の名を出して、なんと言っても彼は瀟洒でしょ、彼の背後には二千人の歯医者がいる、などと話しているのを何かと思ったら「勝者」「敗者」だったといい、そういう思考について「キャリア志向のマッチョ主義」と書いていたのである。
 このNというのは中沢新一のことだろうし、私はかねて、金井先生ほどの人が中沢のような香具師に騙されているようなのを怪訝に思っていたのだが、それより、別にマッチョ主義ということはなくて、上昇志向は女にだってたっぷりあるわけであろう、というので、「金井美恵子は踏み外したか?」というエッセイを、2001年に角川書店の『本の旅人』に載せたのである。これは『軟弱者の言い分』に入っている。
 『猫の一年』73pには、その時の学者が誰であったか、ある文章を読んでいて思い当たった、と書いてあって、それは国立大学で博士号までとって美人論なんか書いていてももてない、ということを書いた文章で(ただし文意はとりづらい)、名の通った雑誌に書いているのだから勝者になったのだろう、というのである。
 もちろん私は美人論というのは近ごろ出したけれど、その当時美人論を書いていたといえば井上章一さんか岡田温司なのである。ところがこの二人は博士号をとっていないので、美人論というのはおぼめかしだろう。ところで私は金井先生のエッセイを読んだ時、それが自分だとはまったく思っていなかったのである。実は今回、『猫の一年』を立ち読みしながら、果して私が、大阪へ向かう新幹線の中で、誰かとそういう話をしたことがなかったか、というと、そうも言いきれない気がしてきたのである。
 それはたった一度しかありえなくて、というのはその一度というのは1994年7月、阪大に赴任してすぐの、上智大学でのシェイクスピア学会に出た後で、その後若くして亡くなった広瀬雅弘さんと一緒に帰った時のことで、広瀬さん相手ならそういう話もしたかもしれない、と思ったのである。それ以後、私は誰かと二人でひかり号で大阪へ帰る、ということはしていないのである。電車恐怖症のためこだまになったからである。それから、ゴディヴァのチョコレートを食べながら、ともあるのだが、これも記憶にないが、絶対にないかと言われれば、自信はない。
 というわけなので、多分これは金井先生なりの揶揄的意趣返し、なのである。
 ところで実は近ごろ私は金井先生のことを調べているのだが、角川書店から出た女性作家シリーズ『津島佑子金井美恵子村田喜代子』(1998)の、解題と年譜を、メアリー・ナイトンという人が書いていて、年譜のほうは『金井美恵子全短篇』(1992)の武藤康史のものを下敷きにしていて、このメアリー・ナイトンというのは誰だろうと思ったのだが、knigtonという綴りにたどりつくのにちょっと手間取りつつ、東大駒場の教育なんとか機構助教授とか、阪大の外国人教師をしていて今は米国にいて、英文学専攻で金井美恵子も研究しているということが分かり、はっとしたのだが、2002年7月夏休みで私は大阪へ行き、新しく来た女性の外国人教師二人と国立文楽劇場に行ってきたという当時阪大助教授の前妻と合流して四人で食事をしたのだが、前妻が渡した文楽劇場のパンフレットにはSJさんのエッセイが載っていて、そのうち一人が、金井美恵子石川淳の研究をしていると言っていて、私は、金井美恵子石川淳を愛読していて石川が選考委員をしている太宰治賞に応募して当選しなかったんだが石川の推薦で『展望』に掲載されてデビューし、石川が死んだ後で、そういう恩義があるから言わなかったけど石川淳の小説ってつまらないのよね、と金井先生が鼎談で話していたなどと教えるとワオワオと感嘆していて、私を「歩く文学事典」とか言ったのだが、あれがメアリー・ナイトンではなかったかと気づいたのである。
 (小谷野敦