川俣従道(1929− )『川端康成と信州』(1996)の最後のほうに、『事故のてんまつ』事件に触れて、事件の翌年の1977年、臼井吉見が松本の、川端が、井上靖東山魁夷とともに泊まった割烹旅館「桂亭」で酒びたりになり、女将の鳥羽節子という人が「なんであんな嘘だらけのことを書いたんですか」と訊くと、「人の話をすっかり信じて書いてしまって後悔している」と述懐したと書いてある。
 これは川俣氏が女将から聞いた話だという。しかしこの「桂亭」というのは今はなく、女将も行方不明なので、検証ができない。しかし川俣は、当時、城山三郎の『落日燃ゆ』について、広田弘毅の遺族が提訴して、死者の名誉権が認められる判決が出た、と書いている。提訴したのは広田の遺族ではなく、登場人物の一人の遺族であり、死者の名誉権は、生者と同じようには認められないという判決が出たというのが正しい。あまり信用のできる著者とは思えない。
 なおこの著作の巻頭には、川端香男里が序文を寄せており、なーるほど、川端家お墨付きで書くと、臼井は悪者に書くことになっているのだなと納得したものである。
(それにしてもバフチーンのラブレー論の訳者である川端香男里を知らないという、私大大学院で西洋美術史を専攻した作家って、どこまで無教養なんだか)