江頭隆の謎 

 私は海城高校の出身なので「海原」という同窓会報が送られてくる。その2006年12月の分に、名誉学園長だった江頭豊の追悼記事が載っていた。ご存知チッソ社長にして小和田雅子の祖父、江藤淳の叔父である。書いているのは、豊の兄で古賀家へ養子に行った博の子で海城学園理事長古賀喜博。
 読んで驚くのは、江頭家は、古賀喜三郎の娘と江頭安太郎の間に五人の子があり、長女、隆、博、豊、次女の順であるが、この文章は、豊が中心なのは当然として、博、淳夫(江藤淳)のことも書いてあるのに、長男である江頭隆については、何の職に就いていたかすら書かれていないことである。江藤は『昭和の文人』で、平野謙が自分の父親について何か隠していたと論難している。しかしその江藤自身が、父についてほとんど語らなかった。そしてこの文章の、長兄である隆に関する沈黙が語るものは何であろうか。
 江藤については、妻の父・三浦直彦もまた謎の人である。没後12年となるが、このことを明らかにしない限り、江藤淳について論はなせないであろう。
 ところでこの文章には、江藤の『腰折れの話』という本からの引用がある。驚くべきことだが、私はこの本を初めて知った。1994年11月に角川から出ていて、『俳句』に連載された身辺雑記随筆である。それで図書館から借りてきて初めて見たが、いろいろ面白かった。ウンベルト・エーコが江藤と対談して、タバコを吸ってもいいかと言い、日本は自由に吸えてすばらしい国だと言ったこと、それからすると江藤は吸わないこと、しかし江藤は毎日欠かさず酒を呑むこと。この連載の後半で江藤は脊髄炎で入院するのだが、その際初めて『南総里見八犬伝』を通読して面白かったと書いているが、それまで『八犬伝』を読まずに文藝評論家をやっていたのかと、驚く。どおりで馬琴についてとんちんかんな発言をしていたはずだ。