民俗学と天皇制

 笙野頼子の『金毘羅』の文庫版解説を安藤礼二が書いていて、最近笙野を論じられるのは安藤しかいないと栗原さんも言っていたけれど、やっぱり懸念を感じるのは、笙野が神社や神道にのめりこんでいくと最後は「右翼」になるんではないかということである。
 もちろん笙野は、そうじゃないと言うわけで、出雲の神々みたいなまつろわぬ神々をことあげしているのだと言っているわけだが、そんなことは梅原猛だってやっているわけで、何だか今の笙野は昔の川村二郎みたいな感じで(というか安藤が若い川村二郎みたいなんだが)、だいたい民俗学とか神道とか言っていると、いつの間にかそうなる。富岡多恵子だって藝術院会員になるわけだし、南方熊楠なんて昭和天皇にご進講して天皇が「紀の国の産みし南方熊楠を思ふ」なんて歌を詠んでしまうんだからねえ。
 谷川健一だって歌会始召人になるわけで、あれは雁が生きてたら何と言ったかねえ。だいたい国家というのは純文学に優しいのだ。藝術院なんてのは純文学保護機関みたいなものである。笙野と安藤が、手を携えてそういう道へ向かっているような気がしてならないのだが、安藤はいいとしても、笙野がねえ、と。

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学術書の場合はともかく、小説本の新刊で、これはやばいんじゃないかと読まなくても見当がつく場合がある。活字上での評判はいいのにネット上でそうでもない場合、特に、アマゾンレビューがついてない時は、まず読まずにすます。

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図書新聞』に載ってる黒岩さんの本の匿名批評、いちゃもんの口調が嫌らしい。「大波小波」と同じやつと見た。「若さを感じさせる」とか。てことは老人だな。誰だこれ。川西政明か?(匿名ってのはこうやってあらぬ人に疑いをかけさせるんだよ、匿名やめい) 

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http://raweb.jm.aoyama.ac.jp/agwhp/KgApp?kyoinId=ymebgsydggy
ふと見つけた。鈴木すゞ江が武井武雄について書いているというのがおかしい。