顔と実力

 こないだ『眠れる森』を最後まで観て、初めてキムタクの演技がうまいことに気づいた。大河ドラマの主役をやった香取よりうまい。
 今ごろ気づいたのか、と言う人もいようが、今なお、「顔がいいだけだろ」と思っている人もいよう。
 俳優・歌手の顔がいいと、演技力・歌唱力が認められにくい。マリリン・モンローは、私はもちろん全然好みではないが、演技力が認められなかった例であり、杉村春子などは逆に、顔がまずいために演技力が最大限に認められた例であろう。歌手では、顔が美ではないために歌唱力が認められた例は多い。江利チエミ研ナオコ和田アキ子中森明菜宇多田ヒカルなどがそうだろう。
 しかしそうなると、顔が良すぎて演技力が認められないの逆で、顔がまずいから演技力が過大評価されてしまうという例もあって、大竹しのぶはまさにそれだと思う。

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本が二分冊で出ると、たいていは「上下」に分かれる。三分冊なら上中下、あるいは第一巻-第三巻などである。
 子供の頃、というのは高校生の頃だが、「全」と書いてある本があるのが、不思議だった。そりゃあ何も書いてなければ全部だろう、と思ったからである。しかしだんだん、「全」の意味が分かってきて、最初一部分が出て、続いて続編が出たりしたのを、まとめて出す場合に「全」とつくのである。
 それだけではない。戦後十年くらい、新聞連載の小説などは、途中までを、平然と『絵島生島』などとして出して、続きを『続絵島生島』にして出したりしていたのである。これでは、後で『絵島生島』の最初のを買って、ありゃ途中までだ、ということもあったはずで、それで「全」などとつけるようにしたのだろう。
 しかし昔は、連載小説というのは、二冊以上になりそうな時は、連載途中でも途中までを刊行してしまった。今は、あまりに長いものならともかく、たいていは完結してから、全二冊とか三冊で一挙刊行する。だが漫画の場合は、昔の小説と同じように、一冊分たまったら刊行してしまう。これは要するに、連載小説を毎回楽しみに読んでいるといった人があまりいなくなってきた、という事態を意味するだろう。