黒田玲子の軌跡その他

 東大教授・化学の黒田玲子は、1947年生まれ、93年に猿橋賞を受賞して、当時45歳、美貌の東大教授として話題になった。私なども知的美人好きだから当時関心を持ち、NHKで夜十時ころ、杉山隆男が司会をする番組に出た時も見た。そこで黒田の研究熱心ぶりが紹介されて、杉山が「なぜこうも熱心に仕事に打ち込めるんでしょう」と訊いたら、二人ともなぜか立っていたのだが、黒田が、「じゃあ杉山さん、書くのつらくないですか」と訊き杉山が「つらいですよー、なんでこんなことをしなきゃならないのか、って思うくらい」「じゃあなんで書くんですか」といった問答をしたのだが、あとで考えたら、杉山は番組の進行上訊いただけなのであった。とはいえ、杉山はえらく軽薄な人という印象があった。
 それで杉山は、寡作な人とか言われているが、寡作というのはおかしなもので、極貧生活をしているか別に仕事を持っているか、と想像してしまうのだが、世間はそこまで考えないで、寡作、と言うのだ。多分出版社から取材費を貰っているのであろう。
 さて黒田はしばらく、美人東大教授文化人という枠だったが、森喜朗が総理になった時、その顧問になり、ああそういう人だったのかと思わせ、森が度重なる失言で追い詰められ「辞めようかな」と漏らした時に「そんなこと言っちゃダメ」と言ったのが報道されて、ある人など黒田への不快感を表明していた。

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群像新人賞をとって細々と作家としており、しかししばらく著書のなかった新井千裕が、このところ二冊本を出した。最新刊『図書館の女王をさがして』(2009)に「ロリータ順子のこと」という長いあとがきがある。1987年に25歳で死んだというから、1962年生まれで、としたら私と同年である。香山リカの友達だった、ともあるからそんな年齢だろう。ロリータ順子というのは藝名らしいが、14歳の時から新井と文通をしていて、いろいろ悩みごとがあって相当情緒不安定で、一度会ったことがあるが最終的に耐えられなくなって電話で「二度と電話しないでください」と言って縁がとだえ、それから十年ほどたって死んだことを知り、それが、自分と縁を切った直後だったらしいと知って気に病み、調べて、嘔吐したものを気管に詰まらせての事故死だったという話である。
 読んでいて妙な感想を持った。夜中電話がかかってきて、ロリータだと思って出ずにいたら何度もかかってきて、翌日会社へかかってきてそれが群像新人賞受賞の知らせだったという話で、ふーんそんな呑気な人もいるのかと思った。まあこれは新井が若かったからか。
 あと、自殺ではないかと思った、というのだが、私はキチガイ女にからまれて、そいつが自殺したというためしがなくて、死ぬ死ぬ言いつつ生きていてハタ迷惑なことを繰り返すだけなので、一瞬、羨ましい、などと思ったことである。
 私は死者に冷淡だと思われているらしいが、そりゃ親しい人が死んだら嫌だが、キチガイ女が死ぬと言ったら、間違いなく死なないから不思議である。これはもう「幽霊を見た」みたいなもので、それなら幽霊見せてくれと言いたくなるが、死ぬ死ぬ言って本当に死ぬ女がいるなら見せてほしいと思うのである。