クッツェーの『サマータイム』

 ノーベル賞作家クッツェーの『サマータイム』という2008年の長編は、ジョン・クッツェーという、死んでしまった作家について伝記を書こうとしているライターが、クッツェーと関係のあった女たちにインタビューしていくという、五人の女たちへのインタビューからなる、変形された私小説めいた作品である。
 その最後に、ブラジル人ダンサーへのインタビューがあり、彼女は娘二人を連れてブラジルから南アフリカへ移住してきて、下の娘に英語を習わせようとして学校へ行かせたが、その教師が若いころのクッツェーだった。しかしほどなく、クッツェーが英国人ではなくてボーア人であることを知り、変えてほしいと要望したりするのだが、クッツェーはその過程でこの女性に関心を抱いたらしく、家に招いたり、キーツの詩を引用した手紙をよこしたりする。あげくの果て、そのダンサーが開いているダンス教室にも現れる。
 つまりストーカーめいた行動をした、というのだが、アドリアナ・ナシメントというこの女はインタビュアーに、あの男は男ではなくて少年だった、と、暗に、童貞である、とくりかえす。そしてしまいには、あんな肉体の欠如した男がどうして偉大な作家になどなりえるのか、と逆襲してくるのである。
 この部分はすばらしいもので、現代においてこういうことを書ける作家は、大江かクッツェーしかいないだろうと思う。
 しかしクッツェーの小説は売れないらしく、翻訳も出る様子がない。どこか出してくれる出版社はないものか。
 
小谷野敦

Summertime

Summertime

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古書で購入した本には時おり奇妙なものが入っている。大久保房男の『海のまつりごと』には、著者謹呈のしおりの代わりに「ママより」と書いた紙片が入っていたが、何であろうか。