貧農史観の見直しの見直し

 呉智英さんも書いていたが、徳川時代の米穀生産高と武士の人口の少なさを根拠に、農民は十分米を食べていたという話。これはよく考えると、都市部の町人に行った分とか、豪農層が蓄えた分とかを計算していないから変なので、それに何より変なのは、もしそんな単純計算でことが済むなら、もっと農業技術が発達した明治以降、食うに困る人間などいるはずがない、ということになってしまう。それは資本制が始まったからだと言うかもしれないが、その資本制が既に徳川時代に始まっていたわけだから。

                                                                        • -

蜘蛛の糸」の原典については、1963年山口静一がケーラス『カルマ』を指摘し、68年に片野達郎が鈴木大拙訳からであると指摘、70年安田保雄が神代種亮の文章により実証した(上條杏美の『長野国文』の論文による)。